おはようございます。今朝は、備前市浦伊部、妙圀寺住職、平野光照がお話させていただきます。
「あらたしき 年の初めの初春の 今日降る雪の いや重け吉事」
万葉集に歌われたこの歌のように、新しい年によい事が雪の降り積もるように重なって欲しいと願わずにはおられません。 どうか、世界に平和が戻ってきますように。どうか、世界の子供たちが幸せでありますようにと、祈りたいと思います。それにしても一三〇〇年の昔、万葉の時代の日本にも、同じように新しき年があったのだと不思議な思いです。
「あらたしき 年の初めの初春の 今日降る雪の いや重け吉事」
昨年は火星が六万年ぶりの超大接近といわれ、又、南極大陸からの皆既日食の初テレビ中継と、宇宙の中の地球を思い知る出来事が重なりました。太陽と月がぴったりと重なった光景を目の前にして、「なんと人間は微妙なバランスの環境の中に生かされているんだろうという事を思い知らされました」 とのアナウンサーの言葉に感激をもちました。自然の不思議ないとなみや光景を見ていると私達の命の不思議を思ってしまいます。
私達は何故、今ここに存在しているのでしょう? 父や母がどんな思いで出会い、この私を此の世に送り出してくれたのでしょう。私の子供たちは、たくさんの方々、父と母、祖父母、親戚、先生、友達・・・、そして、ご近所の人々に見守られながら生まれ、育てていただきました。 娘に、息子に、それを伝えたいと思います。
先日、子供たちの大好きだったNさんというおじちゃんが亡くなりました。そのNさんは、ずるい事が大嫌いで、けっして人にへつらったり、追随する事の出来ない方でした。子供をとてもかわいがってくれました。自然の美しさを満喫させてくれ、おいしい物が解るようになれと、自然の味を叩き込んでくれました。一貫して子供の成長を丁寧に見守ってくれた方でしたが、急逝されました。
もう とっくに成人したうちの娘も、大学生の息子も、高校生の娘も、涙を流して泣きました。その姿を見ながら、ああ子供たちはしっかりと、このおじちゃんの生き様を受け取ってくれていると、今更ながら感じた事です。
このNさんは、もうすぐ初孫が抱けるはずでした。娘さんが、大きなおなかをさすりながら、ポツリと言いました。
「この子は、おとうさんの生まれ変わり・・・?」
Nさんの命は、チャンと受継がれています。新しく生まれてくる命にも勿論ですが、こうして可愛がってくれたうちの子供たちの中にも、きっとNさんの命が受継がれていくことと思います。
又、別のおうちのことですが・・・・・
「おじいちゃん! 今度私が生まれ変わっても、おじいちゃんの孫でいたいよ・・・!」
何と素敵な言葉でしょう。
このおじいさん、自らを捨てて世の方に尽くしておられました。仏画も静かに、こつこつと描かれ、親しい方に差し上げていました。素晴らしい生き方をされた、このおじいさんの姿を、子供さんやお孫さんもしっかり覚えて居られ、先の言葉が出たのでしょう。このお孫さんは本当に幸せな方だと思います。人間として生まれてきて、こんな出会いの出来る方があり、こんなご縁をいただける事があるのです。
仏教詩人の相田みつをさんは、こんな言葉を残しておられます。
「過去無量の いのちのバトンを 受けついで いま ここに 自分の番を生きている それがあなたのいのちです それがわたしのいのちです」
父や母のいのち、祖父母のいのち、多くのいのちのバトンを受けついで、私の不思議の命を生きています。ありがたいこのいのちは、多くの方のお世話になりながら、此の世に送り出していただき、今を生きています。
父や母との出会いだけでなく、先生や友達、お師匠さま、それに、ご近所の方々、檀家の皆様、平和活動をしている方、日々の活動を支えてくださる方・・・などなど、多くのお力をいただいてこそ生きていけるのでしょう。
そんな中で、私にとって財産とも言える出会いがありました。
先般、お寺で「万葉うたがたりコンサート」が開かれました。四千五百余りの万葉の歌を、テーマごとに集めて、メロデイをつけて歌われるのです。
この万葉コンサート、備前市市民センターの女性講座として続いてきたものの終了をおしむ方々が企画されたもので、会場をお貸ししただけでした。でも準備をされている方のいきいきとした姿に心うたれました。
ただただ万葉集を一人でも多くの方にお伝えしたい、こんな楽しい世界があるよ、とお知らせ出来ればという思いの方々が、一人一人自分の出来る事を話し合いました。当日の受付なら、先生の御接待なら、お茶やお菓子のことなら、掃除のことならと、準備が進みました。その皆さんの熱意が伝わったのか、当日はお堂にあふれんばかりの方がお出かけくださり、会場は熱気につつまれました。それはそれは華やかな集いでした。
何がこういう風に皆さんを動かし得たのでしょう。万葉の歌を説き聞かせて下さった、岡本三千代先生は元より,一三〇〇年も昔に詠われた人々の思いに、私達は動かされたのだと思わずにおられません。男女間の思い・親子・兄弟・出会い・別れ・自然との関わり・・・等、歌を読みながら現代の私達以上に素直に、直接的に、表現している様に驚かされます。そんな感動に触れ合った方たちの力で見事にコンサートは成功を収め、話は早次にむけてすすんでいます。不思議な出会いでした。
私達の信ずるお釈迦様の教えも、二五〇〇年も昔のことではありますが、決して昔のお話ではなく、今を生きる私達の為に話かけていただいているのです。(千三百年前の万葉の世界に浸りながら、二千五百年前のお釈迦様の事に思いを寄せました。)万葉の歌が今でも私達の心をつきうごかすように、お釈迦さまの教えも決して昔のお話ではありません。私達は生活の中で悲しい事や苦しい事が一杯あります。それでも一人と思わず手を合わせて耳を澄ませて下さい。きっと仏様が声をかけてくれると思います。
「方便して涅槃を現ず 而も実には滅度せず 常に此に住して法を説く」
お釈迦さまは、方便としては涅槃を現すけれども、今も此にいて私達の為に教え導き続けているのですよ。と、いわれます。
「あなたは、ちゃんとお役目を持って此の世に生まれてきているのですから」と、仏様はメッセージをいつも送って下さっています。
今、生きているこの場所を、善き所とするのも、悪しき所とするのも、私達の心次第。不思議なご縁で生まれたこの命、しっかりと受けとめて少しでも私の出来る事で、皆さんに喜んでいただく事に励みましょう。
一人ぼっちと思っていても
仏様は一緒です
子供が無心に遊んでいても
親が遠くで見守るように・・・・・
一人ぼっちと、嘆く事はありません。いつも仏様は、あなたのそばにいらっしゃいますよ。あなたが仏様に助けて欲しいと望まれるのなら、仏様はきっと助けてくださいます。それはまるで、子供が無心に遊んでいる時、父や母がいつも見守ってくれたように、仏様はいつも私達を見守ってくださいます。仏様の声援が聞こえます。
日蓮聖人は、七百年の昔、新年にあたりご信者の方に、こんな言葉を送っておられます。
「花のごとく開け、月のごとく明らかにわたらせ給うべし」と。
泥沼ような世の中でも、その中で花のように清らかに過ごして欲しい。たとえ、暗闇の世の中になろうとも、その中で月のように明るく照らして欲しい、と、おっしゃっています。「お日さまのごとく明らかに」と言われず、「月のごとく・・・」と言われたのは、暗闇の世という事が頭によぎっての事かと思います。
日蓮聖人は、幕府に対しても堂々と物申す方でした。正しい教えで誤りは正さねばならない、との信念で理不尽の迫害も耐え忍ばれました。厳しい聖人像が知られていますが、お弟子さんやご信者さんに対しては実に優しい言葉をかけておられます。悲しみや苦しみも一緒に受けとめて共に泣き、励ましておられた事と思います。
先日、私は日蓮聖人のお顔を写仏させてもらいました。筆使いも解らず、未熟なものですが、写し描きさせてもらっているだけで、聖人にお目にかかっている思いにかられありがたい一時でした。七百年の昔、直接日蓮聖人にお目にかかった方は、どんな思いだったでしょう? 心の苦しみたちまちやみ・・・といわれる通り、心は安らぎ、ありがたく、手を合わせておられた事でしょう。年は移っても日蓮聖人の教えは確かに今の時代に生きています。絵を描かせてもらい、その聖人に想いをはせました。
たとえ、泥沼の世になろうと、暗闇の世の中になろうと、その中で小さな花でも精一杯咲かせ、小さな光でも精一杯灯せる人にならねばならない・・・と、メッセージを送り続けてくれています。
私達の不思議な命、仏様からいただいた不思議の命を、しっかりいかすべく、ありがたくうけとめてまいりましょう。
「花のごとく開け、月のごとく明らかにわたらせ給うべし」
今朝は、備前市浦伊部、妙圀寺住職、平野光照がお話させていただきました。