「南部のおばあさん」
おはようございます。私は御津郡建部町の日蓮宗龍渕寺住職 浅沼眷昭と申します。今朝は「南部のおばあさん」と題してお話させていただきます。
平成16年元旦、加茂川町の内藤さんからいただいた年賀状に次のようなことが書かれていました。
「あらためてお礼に伺っておりませんが、南部さんについては大変ありがとうございました。あのようにむつかしい老人が施設をあのように喜び、終幕も見事に引いたのは、やはり仏様の導きと思います。民生委員として、あのような例はなかなかありません。」
この年賀状を下さった内藤さんは、農業のかたわら営林署にも長年勤められ、また民生委員としても活躍されている方です。
「南部さん」とは、龍渕寺の檀家の方で、南部寿賀子さん(平成15年2月2日、92歳で逝去)です。
南部さんは、ご主人とともに戦後外地から引き揚げて来られ、加茂川町上田西に住みつかれ、農業に従事しておられました。子どものない方で、野良犬や猫の面倒をよくみておられました。ある時、近所の人がその数を調べたら、猫は35匹、犬は出入りが激しいのでよくわからないが、最低15匹くらいはいたという話を聞いています。
南部さんは「人間様より犬や猫の食費の方が沢山要る」とこぼしながら、冬は猫専用のコタツを家の中に3か所置くというほど、一生懸命になって大事に飼っておられました。
昭和50年ごろ入檀、間もなく先祖墓を寺の墓地に移されてからは、墓参のついでに時々参られるようになりました。
平成4年7月9日、ご主人が亡くなられてから、ご主人へのご回向ということで「拝む」ことに強い関心を持つようになられ、毎月5日の信行会に参加されるようになりました。
龍渕寺では、平成2年9月から百万遍唱題行を全檀家に呼びかけていました。しかし南部さんにはまだ無理だろうと声を掛けるのを遠慮していました。ご主人没後、初七日のお経に参りました時、「百万遍唱題行をやられたらどうですか」と声を掛けましたところ、即座に「うん、やります」との返事。
百か日までは、読経・唱題を朝・昼・夕、寝る前と、1日4〜5回実施されていたようです。始めてから2年足らずで百万遍の唱題修行を成満されました。
ご主人が亡くなられて約3年間、犬や猫を相手にずっと一人でがんばってこられましたが、平成7年になり民生委員や近所の方が心配して、老人福祉施設「玉松園」に入らせてもらうよう手続きをされました。
長年住み慣れた我が家をあとにして、大事に育ててきた犬や猫とも別れ、全く新しい環境に入ることにはかなりの抵抗感もあったと思いますが、その環境にも割に早く慣れて、寮母さんや多くの入園者とも仲良く過ごせるようになったようです。
入園されたら信行会には来られないだろうと思っていましたが、毎月5日にはちゃんとやって来られました。平成12年から始めた、使用済み割り箸の回収運動にもいち早く協力され、信行会の時「はい、持って来たよ」とニコニコしながら、数百本は十分あると思われる割り箸をいつも持参されていました。
信行会に来られたとき、私や仲間の人たちによく話されていたことは、「ご飯の用意もせんでいいし、上げ膳据え膳で、お風呂にもちゃんと入れてもらえるし、毎日が極楽のようじゃ」とか、「お寺へ来て、みんなと一緒にお経やお題目があげられるんが一番楽しい」ということでした。
入園されて3〜4年経ったとき「南部さんは、お地蔵さんに毎年新しい帽子や前掛けを自分で作ってお供えされている」ということを誰からともなく聞きました。建部駅のすぐ上手の踏切りの所に、戦後間もなくの頃、踏切り事故で亡くなった人の慰霊の為に建立されたお地蔵さんがあります。そのお地蔵さんにいつもきれいな帽子と前掛けが見えることに気が付きました。
平成12年の頃、南部さんが信行会から帰る時、たまたま私も同じ列車に乗ることがあり、建部駅で一緒になりました。おばあさんは何かしらいっぱい入った大きな紙袋を2つさげています。「何を買ったんですか」と聞くと、「お菓子」。「そんなに沢山どうするんですか」「玉松園の人みんなにあげるんじゃ」という次第。
おばあさんの話によると、はじめは信行会の時のお茶菓子の残りを持ち帰り、同室の人にあげていた。ところが隣室の人が「私らも欲しいなあ」と言われ、翌月は隣室の人の分を買って帰った。すると他の部屋の人も欲しがることがわかり、翌月からは園の人みんなに買って帰るようになった、というのです。
平成13年には、山陽新聞にカラー写真付きで南部さんの記事が載りました。南部さんは、編物をしたり人形を作ったりするのが好きで、日頃小さな人形を沢山作っておいて、慰問に来てくれる幼稚園児や小学生に「交通安全のお守りにしなさい」と手渡していたというのです。玉松園にいる仲間の人たちにも早くから手作りの人形をあげて喜んでもらっていたのです。
はじめに、私が今年いただいた年賀状のことを申しましたが、その年賀状を見て、ただいまお話ししましたような南部さんのお元気な頃のことを次々と思い出しました。
昨年(平成15年)2月2日、前日も変わったこともなく、当日も朝・昼と普通に食事をいただいて、昼食後しばらく横になって休憩していて、そのまま眠るように大往生をとげられたのです。
年賀状をくださった内藤さんが「あんなにむつかしかった人が、玉松園に入られた頃から人が変わったように優しいおばあさんになられ、天寿を全うされたのは、正に仏様のお導きによるとしか思えません」と言われたのも、まことに宜(むべ)なるかなと言うべきでありましょう。
なぜそのようになられたのか。私は次のように思います。
ご主人が亡くなられてから、それまでお経やお題目に縁がなかった人が、信行会に参加することを通じて一生懸命になって読経し、浄心行(丹田呼吸)をしてからお題目を唱えるという方式で、百万遍の唱題修行をなされたこと、そういう修行によって、次第に仏心が花開けていったに違いないと思わざるを得ません。
以上、御津郡建部町、日蓮宗龍渕寺住職、浅沼眷昭がお話し申し上げました。ご静聴まことにありがとうございました。
南無妙法蓮華経