皆様、おはようございます。私は三門の日蓮宗、妙林寺に勤めております檀上隆志と申します。暫くの間、お時間を拝借できれば幸いです。
さて、私たちの人気を集める趣味に「音楽」があります。若い人からお年の方まで、音楽が好きな人はたくさん居られます。しかし日本の古い音楽となるとずいぶんと人数が少なくなるのではないでしょうか。私はその古い音楽、「吉備楽」を今年の夏に始めました。きっかけは賀陽町の妙本寺で開祖「日蓮聖人さま」をお祭りする「お会式」で声を掛けてもらったことです。元々仕事の都合で「雅楽」の笛の経験がありました。吉備楽と雅楽は親戚みたいなもの。来年はいっしょにお会式で音楽を奉納できるかもしれないと喜んで練習に参加させていただきました。場所は岡山市郊外の小さな村のお堂です。近所のお年寄りと若いお坊さん十数人で月に一回、2時間の練習をします。知り合いのお坊さんも多いのですが、不安が無いわけではありませんでした。知らないところに飛び込んで大丈夫かな。初めての曲をちゃんとできるかなという思いもありました。しかし、「案ずるより生むが安し」です。吉備楽の練習は和気藹々とした雰囲気で、不安を吹き飛ばしてくれました。さらにすばらしいのが指導をしてくださる先生です。情熱的で、一本筋が通った感じの練習になるのです。一人で練習すればものの十分で飽きてしまいますが、ここなら2時間でも平気です。いっしょにがんばる練習仲間がいかに貴重で大切か。改めて教えられました。同時に指導者には情熱が欠かせないことも勉強させていただきました。
情熱のある指導者と同行の仲間。これはお坊さんのお経にも必要です。皆様の法事や年間の仏事にも必要です。しかし現実には思うようにいかないこともあります。私の努力不足も原因ですが、最近感じるのはお経をしてくれる大人の人が減っていることです。十年前、お坊さんとして仕事を始めたときには一家に一人お経の達者な年寄りがいました。それが年々少なくなっているのを実感するのです。まるで環境の変化に対応できなくて数を減らしてゆく絶滅危惧動物のようです。必要の無いものが消えてゆく自然淘汰のように見えますが、それはお坊さんの宗教活動に当てはまる話です。お檀家さんのお経は主に先祖供養に使います。大好きだったお父さん、お母さんの供養のため。自分を可愛がってくれたおじいちゃん、おばあちゃんを偲ぶために使うのです。自然淘汰で納得できる話ではありません。「先祖」になった家族を大切に思う気持ち。これが次の世代に伝えられないで消えてしまうような気分になります。皆さんはどうお考えでしょうか。
さて、私がお経に行かせて頂いているお檀家さんに斉藤さんというおばあちゃんが居られます。お経に参りますとコーヒーとお菓子を出してくださって親しくさせていただいておりました。それが5年程前にご主人が先立たれて奥様一人が残りました。子供は皆家庭を持って家を出ています。ご主人は八十を超えるお年でしたから男性としては立派な大往生です。しかし、葬儀は身内にとって大事件です。寿命だと割り切って考えられるものではありません。
「いずれ寿命が来るとわかっていてもいざ主人を亡くしてしまうと寂しいものですよ。時間が薬といいますから、気持ちを長く持って、主人の供養をします。」
と言われていました。それが一周忌が終わり、三回忌が終わる頃には「気持ちが落ちついてきました」とお話してくださいます。
そして今年春のお彼岸です。お経に参らせていただいたとき。「うれしいことがありました。」とお話してくださいました。「お爺さんが死んでから、機会があるごとに子供と孫に仏様の供養を手伝わせました。ご先祖様のお世話を少しでも覚えておいてほしいと思ったからです。お経もいっしょにするようにしてきました。気が付けば小さかった孫も大きくなってもう小学校高学年です。その孫がこのあいだお彼岸のお墓参りに、遊びに来ました。そして私にこう言ったのです。」
「おばあちゃん。僕はこの家を継がなければいけないから、そろそろ仏さまの祭り方を覚えないといけないね。」
「私はね、お上人さん。内心では口うるさくなってるんじゃないか。一人で空回りしてるんじゃないかと思って居たんですよ。口うるさいお婆さんだったと思います。実際のところ、息子は何とかつきあってくれました。お嫁さんはよくできた人で協力してくれました。ですがまさか孫がそんなことを言うとは思いませんでした。私はね、お上人さん。とても嬉しいんですよ。」
なかなか言ってもらえない言葉です。普段そこまで熱心に教育される方は希だからです。しかしあきらめてはいけません。皆さんが子供や孫のとき、おじいちゃんおばあちゃんがしていたことを見ているはずです。お嫁にきてお姑さんがしていたことを見て居るはずです。土台になる文化はまだまだ消えてはいません。今から思い出して、勉強しても決して遅くはないのです。
日蓮宗の開祖、日蓮聖人さまの残されたお手紙の中にこうあります。「子供がお母さんのお乳を飲むとき。どんなものが入っているか理解してないが、自然に体を成長させる。(病人がお医者様から薬をもらうとき。何が入っているか理解してはいないが、飲んで養生すれば病気は治る。)お釈迦様の教えもそのようなものだ。お釈迦様の言葉を心から信じて体に入れなさい。煩悩の病は治って、心を成長させる栄養になるであろう。」
信仰のあり方を教えたお手紙ですが、私たちの仏事でも同じです。お檀家さんがお経を唱えますが、内容を理解する人は少ないでしょう。しかし恐れることはありません。お檀家さんの先祖供養の姿は、どこに出しても恥ずかしくないと確信を持って言えます。自信と少しの情熱を持って、ご先祖の供養をしていただきたいと思います。できれば一人でなく、家族、親族を仲間とすれば、家族の絆の基になります。そして素直な心であれば、お釈迦様の教えの入り口にもなるでしょう。私もご縁をいただいて僧職にありますので、皆様といっしょに頑張ってまいります。
日蓮宗、妙林寺より参りました檀上隆志でした。