皆様おはようございます。今朝は御津郡建部町日蓮宗成就寺住職広本栄史が放送いたします。
私の住む建部町では、今「たけべの森」で4月2日〜17日まで、「はっぽね桜まつり」をやっています。今を盛りに百種類、1万5千本もの桜が咲き乱れております。皆様是非お誘い合わせ、「桜見物に『たけべの森』へこられえよ」と岡山弁でご案内しております。
この桜は日本を代表する立派な花とされています。この桜のように日本人は皆美しい心を持っていると言われてきました。ところが、桜の花は相変わらず毎年きれいに咲きますが、最近人間の心はだんだんとくすんで、まるで春霞がかかったように思われます。小学生・中学生の中にも、心が霞んでいる児童が全国の中には見受けられます。私たち人間は、みんな心を磨いて少しでも仏様のような心になって生活していきたいものです。
法華経第二十番目に常不軽品というお経があります。そのお経の一節に「どんな人にでも道で行き逢う人には、皆さんに手を合わせて礼拝し、その人を讃めてこう言った。私はあなたたちを深く敬っている。これは形だけではない、心の底から敬っている。決してあなた達を軽んずるという心はない。これは相手が善人であろうが、悪人であろうが、皆すべての人を心の底から敬うのであって決して軽んじたりしない。その理由は、あなた達は皆仏になる本性を持っているのだから。仏になる修行を重ねれば必ず仏になれる」と、こう言って常に手を合わせて拝んで歩いたのです。時には石を投げられたり、棒で殴られたりしても逃げながら拝んで歩いたのが常不軽という人でした。
この常不軽という教えをそのまま身を以って実践されたお方が、日蓮宗のお坊様、綱脇龍妙という大僧正様です。綱脇僧正は、明治9年に生まれ、明治38年日蓮宗総本山山梨県身延山に参詣し、多くの癩患者、ハンセン病の悲惨な姿を目にし、その救癩を生涯の事業と決意されました。そして翌明治39年10月、身延山に「身延深敬園」を設立し、日本最初の私立救癩施設を作られました。深敬とはお経文の如く「深くあなたを敬います。あなたは必ず立派な人間になられる」というお経文通り実践されました。
岡山県でも、昭和5年11月20日に国立療養所第1号として、長島愛生園に開園されました。日本では古くから「らい病」医学では「レプラ」と呼ばれ、病状が重くなると顔面が変貌し、手の指は歪み、欠落して、足首も切断するという不治の病であり、因習にまつわる偏見、差別の強い忌み嫌われる恐れられた病気でした。綱脇僧正も再々長島愛生園、光明園を訪れられ、両園に法華堂を建立され、南無妙法蓮華経の修行を勧め、患者さん達の心を癒されました。私は今その長島愛生園、光明園に駐在布教師として行かせて頂いております。その愛生園に加賀田一さんという87歳の患者さんがおられます。加賀田さんは私のお寺にもお詣りに来られました。この方の郷里が鳥取県で、里帰りされ、県知事さんの案内で県下を講演して歩かれました。加賀田さんはそのことを「島のやまびこ」体験講演感想文集、若者はどう受けとめたか、という本にまとめ、本年正月に出版されました。そのはじめに次のように述べられています。
ハンセン病については、1996年(平成8年)4月、90年間続いた「らい予防法」は廃止になりました。その後提訴された国家違憲賠償訴訟は、2001年(平成13年)5月熊本地裁において「国のハンセン病政策は国会の不作為(怠慢)によるハンセン病患者への人権侵害であり、その謝罪と賠償を命ずる」という判決が下り、国はこの判決を控訴断念せざるを得ませんでした。そして小泉総理、坂口厚労相、衆参両院議長の謝罪表明の発表となり、国民からは「ハンセン病ってなあに?」「わが国にはそんな隔離法が存続していたの?」という驚嘆の声が駆け抜けたのでした。近年、島や僻地に隔離したまま放置していたため、国民からすっかり忘れ去られていたハンセン病が、テレビや新聞報道などによって急速に関心が高まってきました。
私の生まれ育った鳥取県では、1996年(平成8年)「らい予防法」が廃止された時、鳥取県西尾知事は率先して、生存者への謝罪と療養所に身分を隠したまま納骨堂に埋葬されている方々への鎮魂の献花をささげる為に園を訪れました。また、県民との交流会によって啓発活動が実施されました。熊本地裁判決直後、片山義博知事は「この問題は人権問題として謝っても謝りきれる問題ではない」と県下39の市町村長を招集されて、切れて久しい家族との絆の復活を図ること、所内の納骨堂に眠る遺骨の引き取り促進とともに、各地において人権フォーラムを開催し、知事自ら進行を努めるほど力を入れられ、県下の中学校、高等学校へはハンセン病を患った者を派遣して、体験と正しい知識の普及運動を進めておられます。
私のような浅学非才の身で、将来ある若者に教えるとか、講演を行うということは誠におこがましい限りですが、自分自身の体験に基づいて学校PTAなどへの県当局からの派遣招待があれば出掛けており、私の拙い体験講演を聴いた中学生、高校生、大学生からの多くの感想文を頂いております。21世紀を担う若者がどう受けとめているのか不安いっぱいでしたが、この若者達の感想文によって過去の誤ったハンセン病政策が再び繰り返されないことを願っている者として、原文のまま感想文をまとめてみました。
この講演を聴かれた生徒さん達が、長島愛生園に現地学習に行かれ、加賀田さんの出身地、鳥取県用瀬中学校3年長戸秀未さんは
「初めて長島愛生園の中を見学して、一番はじめに思ったことは、“ふつうの所じゃん”って思いました。想像していたより広く景色もキレイだし信号や電話ボックスがあるのにはびっくりしました。午後からの見学で一番印象に残っているのは納骨堂です。とてもキレイで、すごくいっぱいの人々がねむっていることも聞きました。今、納骨堂でねむっている人達が故郷に帰れないのは家族の人が今さら“そう式”なんてできないとか、家だったらおはかのそうじもマメにできないので愛生園に骨をおいておいて、おはかまいりに愛生園に来る人もいるそうです。私の家族がもしハンセン病にかかって亡くなっているんなら無理にでもおそう式をしてあげたいです。
ハンセン病について勉強しているからこういうことが言えるかもしれません。でもハンセン病の差別やへん見を少しでもなくすためにも一人でも多くの人が故郷に帰ってほしいなあと思います。あと神谷さんや加賀田さんはとてもやさしかったです。加賀田さんが資料館でどんな質問にでも一ツ一ツていねいにこたえてくれたのがすごくうれしくて印象的でした。私はもう一度愛生園に行ってまだ見ていない所を見学したいです。神谷さん、加賀田さんに案内をしてもらいたいので長生きをして下さいね。」すばらしい感想文でした。
人間みんな立派な仏様の心を持っているのです。いろいろ体験することにより、自分自身の心がみがかれ、思いやりの心、悲しみの心が育まれてくるものと思います。この中学生のように美しい心、桜の花のような心の花を咲かせて社会を明るく照らしてほしいものです。
今朝は建部町日蓮宗成就寺住職広本栄史が放送しました。