皆様おはようございます。暑い日が続いておりますが、いかがお過ごしでしょうか。今朝は瀬戸内市長船町福岡にあります日蓮宗妙興寺の岡田行弘がお話いたします。
 今日8月13日から16日まではお盆の期間になります。皆さんのご家庭でも、ご先祖をお迎えして供養するために、ござを敷いて棚をしつらえ、お位牌を仏壇から出して、その前にお供えをされていると思います。あるいは、暑くならないうちにお墓まいりに出かけて行こうとされている途中かもしれません。
 お盆のお経にお坊さんが来たら、皆さんも一緒に手を合わせてください。そして、今は亡き人のことを思い出してみてください。亡くなられても家族であることには変わりありません。今は亡き人のことを思い出し、また、その人が今の自分を見たら、どう思うかな、というようなことを考えてみる意味のあることです。
 ところで、自分の人生にとって大切なことは、何だろうというようなことをお考えになってみたことは、ありますか。人生において大切なものといえば、健康・お金・家族・友人・仕事・趣味などなど、実にたくさんあるように思いますが、それらが全部そろっていないと幸せになれない、というわけではありません。
あるいはまた、皆さんは、何かの時にふと、「自分のこれまでの人生は何だったんだろう、人生に何か意味があるんだろうか」あるいは、「これからの人生をどういう気持ち、心構えで生活していったらいいんだろうか」というような疑問を持たれたことがあると思います。
まあ、こんな事を考えないで生活していける方は、幸せです。もちろん、仕事や子育てで時間に追われているような方は、「自分の人生は、うんぬん・・・」などと考えている余裕はないかもしれません。また、退職されて時間的にもゆとりがある方が、「自分は衣食住には困らない、散歩や旅行をしたりで、毎日楽しい。いままで真面目に働いて来たんだから、これからはノンビリしたい」というのであれば、何の問題もないわけです。

 私なりに申し上げますと、「人生において大切なこと」、それは何かといえば、まず、希望がある、目標をもっているということだと思います。希望とか、目標がないと、とりあえずどんな希望でも、目標でもいいわけですが、それがないと、生きていても充実感がなく、あまり楽しくありません。
最近は若い人のなかにも、学校は卒業した、一応就職した、けれども、これでいいのかと不安感に襲われて、悩んだりすることが、ままあるようです。現代の日本は豊かですから、何もしなくても衣食住はなんとかなる、しかし、自分の進むべき道が見えないというのは、現代の多くの人が抱える悩み・苦しみなのです。
 日本人は、大体真面目な人が多い、ですから、いま世界でもトップクラスの豊かな国になり、平均寿命も世界一、ほんとうにもっとこの幸せをかみしめて、楽しく生活すればいいのに、あれこれと気を回して、心配するわけです。今はいいとしても、将来の生活はどうなるんだろうか、とか、少子化で働き手が少なくなると年金が減ってくるのではないか、老後の蓄えはこれでは不足するんではないかとか、まあ、そのような情報がいろいろな形で流れてまいります。ほんとうに、あれこれ考えていると、不安で夜も眠れなくなる、などという方もおられるかもしれない。
しかし、自分の将来にたいして、準備万端、きちんと計画をたて、これで安心ということが、果たしていいことなのか。すべて自分の設計どおりに進んでいくことが、そのまま幸せと言えるのでしょうか。

このような人生の悩み、不安に対し、仏教はどのような教えを説いているのでしょうか。病気になり自らの死をさとったブッダは、悲しむお弟子さんたちにこう遺言します。
「もろもろの事象(物事)は、過ぎ去るものである。怠ることなく努め励みなさい」
これが「諸行無常」です。この無常(常なるものがない)というのは、あらゆる物事は、常に変化している、ということです。自分の心も体も例外ではありません。楽しい時間もいつか過ぎる、逆に苦しいことも永久に続くことはない、常に変化しているのです。
つまり、先ほどの将来の見通しについて言えば、自分自身の体も考え方も常に変化している、そして、社会の様々な条件も常に変化している、自分も変わり、社会も変わるのに、将来の計画・設計だけが変わらないということは、ありえません。人生、変化があるから面白い、血圧だって変化するから私たちは生きているんです。ただし、変化する、過ぎ去るから、いまの状態に流されていってもいい、ボーとしていてもいいと言うのではありません。無常である、常に変化しているからこそ、仏様、ブッダは「怠ることなく努め励みなさい」と教えています。

 そこで、目標や希望ということに関連して、一つ考えていただきたいのは、自分の今までの人生を振り返ってみて、どのような時に一番うれしかったか、ということです。いかがでしょうか。
 就職して初めて給料をもらった時、結婚した時、子供が生まれた時、海外旅行へ行った時、車の免許が取れた時、まあ、いろいろあると思います。
 しかし、皆さんもきっとそうだと思いますが、誰かに大変感謝されたり、喜んでもらった時、この時こそ、何にもまして、うれしいな、お役に立てたな、と感じるのではないでしょうか。私を例にあげて恐縮ですが、御檀家に行ってお経を読む、そのとき「自分で、今日は上手にできたな」と感じてもあまり嬉しいと言う事はありません。しかし、檀家の方が、今日はありがたいお経をいただいて、うちの亡き親もきっと喜んでいます、などとおっしゃると、もう天にも上る気持ちになります。
自分だけが満足するというのは、わずかの喜びです。誰かが喜んでくれる、このときにこそ生きがいを実感するのです。ですから、自分のやりたい事が見つからない、と言う事で悩んでいる方は、社会でいま何が必要なのか、何をしたら喜んでもらえるのかということを考えてみれば、新しい方向が見えてくるのではないでしょうか。自分は、自分は、というこだわりを離れてみると、気持ちが楽になるものです。

 実は、このあたりに「人生において大切なこと」の秘密が隠されているように思います。つまり、誰か別の人、それが親や子供、夫や妻、友達などだれでもいいのですが、そのような誰かにとって、自分が大切な人間であること、自分が感謝される存在であること、ここに生きる意味があるようにおもいます。自分の存在というものが、誰かのお役にたっている、これが、人生において大切なことではないでしょうか。
 あるいは、自分はもう誰の役にも立たない、感謝もされないと悲観されているかたもおられるかもしれない、しかし、そんなことなことは決してありません。
 いまこうして、自分が生きている、ご先祖からいただいた命を守って生きているということこそが、大切なのです。そのことだけで、皆さんの親・祖父母の方々は、すでに亡くなられていたとしても、仏様の世界できっと喜んでおられる事と思います。お盆の間、お位牌に向って、またお墓にお参りして、南無妙法蓮華経と唱えてください。その声によって、皆さんの思いが亡き人に届いていくのです。静かに手を合わせ、御題目を唱え、亡き人を思い出す、皆さんのこのような姿に対し、ご先祖もきっと深い感謝の気持ちをもたれていると信じております。
 どうか、お気持ち、お健やかにお過ごしください。
 今朝は、瀬戸内市長船町福岡、妙興寺、岡田行弘がお話いたしました。