RSKラジオをお聴きのみなさん、おはようございます。本日は、岡山市にあります、
日蓮宗太然寺住職、大野玄秀がお話をいたします。
いよいよ、「晴れの国おかやま国体」が迫ってまいりました。一般の県民の方々も、様々な形で、協力を求められておりますが、自坊太然寺では、民泊に協力いたします。8名程度の選手・監督がお寺に宿泊する予定です。昭和37年の前回の国体でも民泊に協力し、徳島県の選手が宿泊いたしました。今回は何県のどんな選手が来られるのか、今から楽しみにしております。岡山としては、43年ぶりの開催、岡山県人として、何らかの形で協力し、岡山国体をもりあげていきたいものですね。
さて、今日のお話しですが、次のアルファベットの4文字、何を表しているのかおわかりでしょうか?
O、C、H、N
すべて大文字です。文字に書いてみたらわかるかも知れません。答えは元素記号です。
元素記号とは、物質の最小単位、原子の種類を記号で表したものです。地球上には現在103種類の元素の存在が確認されています。すなわち、地球上のすべての物質がこの103種類の原子の組み合わせからできているのです。そして、この O、C、H、Nは人体を形成している元素を質量比の多い順番に並べたものです。Oというのは酸素、Cは炭素、Hは水素、Nは窒素ですね。
実際には、人体を形成する元素は、酸素・炭素・水素・窒素の他にカルシウム、リン等ありますが、それらは非常にわずかで、酸素・炭素・水素・窒素だけで、質量にして96%を占めてしまいます。ですから、人体は酸素・炭素・水素・窒素の4種類の元素で形成されていると言っても過言ではないでしょう。
酸素は65%を占めます。酸素といえば、呼吸に使われる、酸素ガスを思われるでしょうが、体内では大半が水として存在しています。H2OのOですね。人体の約3分の2が水といわれていますから、この酸素の比率が高いのは納得いくでしょう。
炭素は18%を占めます。タンパク質、糖、アミノ酸などの、炭素化合物として存在しています。
水素は、人体を形成する原子数では60.3%と一番比率が高いのですが、一番軽い原子ですから、質量比では、人体の10%を占めます。水素も大半が水の状態で存在しています。
窒素は3%を占めます。窒素は空気中の約8割を占める気体ですが、体内では、タンパク質などの窒素化合物の状態で存在します。
化学の授業のようになってしまいましたが、人間はこのように、これらのどこにでもある簡単な物質が化合してできているのです。ところが、これらの簡単な物質の化合物に命が吹き込まれますと、どうでしょう。動くことができ、考えることができ、成長することができ、子孫を増やすことができます。これはまさに生命の奇跡としか言いようがありません。すなわち、お釈迦様に与えられた命と言っても過言ではないでしょう。そして、その命は一人の人間に1つしかなく、一度失うと2度と戻って来ることはありません。
しかし、最近、このお釈迦様に与えられた大切な命・・・、自分の命、他人の命にかかわらず、粗末にする人間がとても多いように思います。
自殺者は相変わらず増加傾向にあり、最近ではインターネットなどで知り合った見ず知らずの若者同士が、特に理由もなく、集団で自殺するということも続いて起こりました。
人が人を殺す殺人事件も毎日のように新聞に出ています。特に、一昔前までは考えられなかった、自分の子どもを虐待して死に追いやったり、少年が同級生を殺害したり、自分の両親を殺す事件も、頻繁に起きています。
それから、命を粗末にする人間が増えてきたと同時に、人生を粗末にする人間も増えてきたように思います。引きこもりとよばれる、社会と縁を絶って生活する人達。ニートと呼ばれる、働こうとしない、学ぼうとしない若者たち。年々増加して、社会問題化しているようです。本当にこれからの日本どうなってゆくのでしょうか。
先程、お釈迦様に与えられた命といいましたが、お釈迦様は一つ一つの命に役割を与えています。すなわち、すべての人間が、与えられた役割を持って生まれてきています。
自殺を考える人は、どうかその各自の役割に気づき、思い直してほしいものです。
殺人、すなわち、他人の命を奪うということは、その人が将来担うであろうお役目を奪うことになりますからこれも絶対に許されることではありません。
ひきこもり、ニートと呼ばれる若者たち、奇跡ともいえる、この与えられた命・人生ですよ。どうか、その各自の役割に早く気づき、立ち直ってほしいと思います。
このように、この命・人生は、大切にしなければなりませんが、次の命、新しい命を作るということも非常に大切なことです。ところが、この、生命の定義ともいえる、生命の一番の使命も、失われつつあります。いわゆる少子化問題です。本当に深刻化しており、さまざまな手段が講じられては、いますが、いっこうに改善に向かいません。
父がいて 母がいて いのちを
受けついで 私の番を 今 生きる
これは、日蓮宗岡山県教化センターのホームページの最初にある言葉です。
人には必ず父と母があります。そのいのちを引き継いだのが自分です。そして、「私の番」と言うことは、次の番があるということです。すなわち、次の番に、父と母から受けついだいのちを受け渡してはじめて「私の番を今生きる」になります。
少子化の原因として、結婚しない女性が増えてきたと言われますが、その理由としては、
「親と一緒に住んでいれば、当分は何不自由なく暮らしてゆける」、「無理して結婚して苦労したくない」という、自分本位な打算的な考えがあるように思います。
そして、子どもを作らない理由も、
「経済的負担が大きいから」、「子どもにお金をかけるよりは自分たちの生活を楽しみたいから」、「将来の社会状況に不安があるから」とか言いますが、これらは、「私の番」なのだから、私さえよければそれでいい、次の番はどうなってもいいと言っているようなものです。
代々引き継がれてきた、この命のバトンタッチ、是非とも、次の世代に引き渡してほしいものですね。
父がいて 母がいて いのちを
受けついで 私の番を 今 生きる
本日は日蓮宗太然寺住職、大野玄秀がお話しをしました。
なお、本日のお話は、インターネットで見ることができます。「仏教アワー」で検索してみてください。日蓮宗のお坊さんのお話だけですが、過去のお話も載っています。
では、またの機会がありましたらよろしくお願いいたします。 南無・・・