おはようございます。今日は、日蓮宗妙楽寺住職、北山孝治がお話を申し上げます。
 ワンガリー・マータイ、という名前をお聞きになったことがおありでしょうか。ケニヤの環境副大臣、「グリーンベルト運動」と呼ばれる植林事業を展開されているエコロジスト、2004年のノーベル平和賞の受賞者でもあります。
 この方が、昨年の国連本部での「国連婦人の地位向上委員会」で、「日本語の『もったいない』をキーワードに、女性たちによる世界的な『もったいないキャンペーン』を展開し、資源を効率よく利用しましょう」と訴えて大変な反響をよびました。
 と言いましても、実は恥ずかしながら、私はこの方の名前もこの話も全く知らなかったのです。つい先日、友達と話しをしていてこのことを聞きました。早速家に帰り、インターネットで「もったいない」を検索しますと、なんと115万件の検索数でした。あまりにも多いので、「もったいない、マータイ」で検索しても、4万2千件の検索数でした。確かにすごい反響を呼んでいます。
 子供のころ、「そんなもったいないことをしたら罰が当たる」と、よく父親に怒られたものです。ご飯を一粒でもお茶碗に残したまま「ごちそうさま」でも言おうものなら、即座にこの言葉が飛んできました。頂き物をしたときも、包装紙は丁寧にたたみ、紐も結び目の皺になったところを爪できれいに伸ばしてとっておきました。もちろん、そうしなければ怒られたからであります。しかし、親元を離れたいつの頃からか、食べ物を残すようになってきました。頂き物の包装紙もバリバリと破いて、紐もはさみで切るようになりました。最初のころはやはり抵抗がありましたが、いつしかそれが当たり前のようになってしまいました。
 そういえば、ゴミ箱も昔は小さく少なかったような気がします。各家の外にコンクリートでできたゴミ箱がありました。それで充分の量のゴミしか出なかったのです。今は、各部屋に一つはゴミ箱があります。台所のゴミ箱はすぐにいっぱいになってしまいます。毎日たくさんのダイレクトメールが送られてきます。そのほとんどは直接ゴミ箱です。冷蔵庫には食べ物がいっぱい詰まっています。タンスには洋服がこれまたいっぱいです。その半分以上はほとんど袖を通さないものです。子供のころ、年末に新しい下着と洋服を買ってもらって、正月にそれを着るために大晦日の夜、枕元にきれいにたたんで置いてワクワクしながら元旦の朝を迎えたことを思い出します。もちろんその頃は、コンビニエンスストアも大型スーパーマーケットもありませんでした。母親は近所の八百屋さんに買い物籠をもって買い物に行っていました。小学校のころ、我が家にはまだ洗濯機はなく、洗濯板で洗濯物を洗っていました。靴下は親指のところに穴があいて、何度もなんどもその穴を母親が繕ってくれました。当然、着るものは兄のお下がりでした。ですから、正月に着る新しい下着が宝物のように嬉しかったのです。カレーライスが大変なご馳走でした。台所からカレーの匂いが漂ってきますと、夕ご飯が待ちきれなかったものです。
 あの頃からまだ40年ほどしかたっていません。今、私たちの国は驚くほど豊かになりました。信じられないほどに便利になりました。その恩恵は今誰もが受けています。
 その豊かさと便利さとに相反するように、私たちの生活の中に当たり前のようにあった「もったいない」という心が、少しずつ少しずつ、なくなっていったのです。今やわが国は、大型消費時代、使い捨ての時代になりました。スーパーやコンビニでは、賞味期限が切れた食べ物が、どんどんと捨てられていきます。洋服にしても、何度も洗濯するよりも買い換えた方が得なのではないかと思えるくらい、安い値段で売られています。
 「もったいない」をインターネットで検索していて面白い記事を見つけました。「もったいない国アメリカ」という記事です。アメリカでは、ケーキを切るとき、そこにいる人数分にカットする、ということはないのだそうです。各自が、扇型に自分の好きな分量だけ切りとって食べるのだそうです。それでも争いごとは起きない、と書いてありました。理由は、食べきれないほどのケーキの分量が最初から用意されているから、とのことでした。まさに、飽食の国アメリカ、と思うのですけれども、現在の日本はそれ以上に、飽食、無駄が横行しています。一昔前だったら、ケーキの大きさは確実に兄弟げんかの元になりました。しかし今では、「ボクいらない」と、見向きもしない子供は大勢います。いつでも、好きなだけ食べられるからです。アメリカ以上に今の日本は「もったいない国」になってしまっています。
 今、世界の人口は65億2千万人といわれています。一番人口が多い国はお隣の中国で、13億人、次がインドの11億人です。この世界の人口が年間8千万人ずつ増え続けています。驚くべき数字です。地球上ではますます貧富の差が激しくなります。食料問題、地球温暖化の問題、石油の枯渇の問題、森林の伐採など、地球の環境は末期的状態に一歩一歩近づいているのです。ちなみに、世界で一番人口の少ない国はハワイのもっと南、太平洋上にあるツバルという国です。人口は凡そ一万人。最近のニュースでしばしば取り上げられていますが、この国は地球温暖化の影響で海面が上昇し、国全体が海に沈んでしまう危機にさらされているのです。
 日本では現在、少子化問題がニュースになっています。日本の人口はおよそ1億3千万人、昨年がピークで、今や減少傾向にあります。この人口減少を食い止めようと様々な方策が話題になっています。日本は中国の十分の一の人口、ということになりますが、一人当たりのエネルギー消費量を見ますと、なんと日本人は中国人の五倍のエネルギーを消費しているのだそうです。
 世界の二割の人間が、世界の八割の食料を消費している、とのデーターもあります。もちろん私たちは、その二割の側にいます。
 「もったいない」とは確かに日本の美しい言葉であり、すばらしい生活の知恵です。その言葉が、国連という場で賞賛され、環境問題のキーワードになるということはとても誇らしく、あり難いことではありますけれども、そう思えば思うほど、現在の私たちの生活習慣との落差が恥ずかしく、悲しくなってしまいます。
 確かに私たちは、わずか4,50年前までは、もったいない、を実践した生活を送っていました。しかし今や、世界一、もったいないとはおよそかけ離れた生活の中にいます。洗濯機から洗濯板にもどることは、もはやできません。しかし、自分の周りの無駄を省くことは大いにできるはずです。世界一豊かな国であれば、世界一無駄を省けるはずなのです。
 江戸時代の日本は究極のリサイクル社会であった、と今再評価がなされています。抜けた髪の毛の一本までかつらに再利用された、と言われるほどです。国をあげての森林保全を行ったのは、あの時代、世界中で日本だけであったということもわかってきました。
 今、もったいないとはかけ離れた環境の中にある私たちではありますが、115万件の検索数があるほどに、心のうちには、「もったいない精神」はまだまだ廃れてしまったわけではありません。
 戦後の経済復興の時代の中、すばらしい先人の知恵をたくさん忘れてしまった私たち。今、その一つひとつを取り戻し、考えを改める時期にさしかかっているのではないでしょうか。「もったいない」も、もちろん、その大きな宝のひとつなのです。
 今日は日蓮宗、妙楽寺住職、北山孝治がお話を申し上げました。