RSKラジオ仏教アワーをお聞きの皆様、おはようございます。3月を迎えまして、早朝の寒さも大分和らいできたと思われます。本日は日蓮宗・岡山市箕島の呑海寺修徒・内田智教がお話しをさせていただきます。今日のお話しが少しでも皆様のお役に立てば幸いでございます。
ラジオをお聞きの皆様は、よくニュース番組をお聞きになっていると思われますが、最近、ニュース番組を見聞きしていますと「偽装」と言う文字が多くの事件で使われているのを見聞きします。この「偽装」とは他人の目を誤魔化す為にする行動と言う意味ですが、何時から人々のこういった行為が当たり前になっているのでしょうか。明るみに出ない所ではこの「偽装」が常識のように行われ、それを知らない人達が普通に偽装された物を受け取る、こんな本来とは違う様子が当たり前になっています。
ちなみに毎年年末に行われる日本漢字能力検定協会が公募で選ぶ「今年の漢字」に昨年は「偽(いつわる)」の文字に決まった事は皆様よくご存知の方がおられると思いますが、これも産地や原材料偽装、賞味期限の改竄(かいざん)など食品偽装の問題が相次いだことがその理由となり、更には、年金問題など政界に対する国民の不安の声も反映した形だったと思われます。しかも今回は「偽」の文字が1位なのに続き、2位は「食」、3位は「嘘」、4位は「疑(うたがう)」となっていまして、2位以降も「偽」と同じ理由でこの様な漢字が選ばれています。この文字を書かれた京都清水寺・森貫主は「日本人の一人としてこういう漢字が選ばれるのは悲憤に(ひふん)にたえない。自分を律する気持ちを持って、これをバネに来年は良い字にしたい」と話されておりました。しかし、今の世の中では少しでも安く、少しでも儲けを稼ぐ、少しでも楽に過ごす、と言う、尽きることの無い欲が人々の常識となり、こういった「偽装」が生まれているのではないかと思われます。このまま世の中が当たり前の「偽装」を繰り返していき、未来の常識になる事はそう近くないことだと思われます。実際にこれだけの報道が流れているのですから、すでに現実問題なのではないでしょうか。こんな光景が当たり前の世の中になりますと、私達は常に目の前の物を監視してそれに対して疑惑の目を向けなければなりません。こういった行為は受け取る側の自己防衛とも言えますが、あくまでもこの行為は「偽装」があるからこそ行う手段であり、本当に大事な事は「偽装」をしない事ではないでしょうか。確かに「偽装」しなくては商売で儲からない等、様々な意見がありますが、これは間違った努力ではないかと思われます。この「偽装」とは特別な事では無く、普段の生活の中でもあり得る事だと思います。普段、何気なく嘘を付くことがありますが、これも小さな「偽装」ではないでしょうか。確かに全て正直なのでは、日々の生活が堅苦しくなり疲れてしまいますが、最近では嘘を付いてはいけない所で平気で嘘を付く人々が増えているのではないかと思います。こう言った積み重ねが大きな事件に発展しているのではないでしょうか。
こんな社会に対して、私はどうすれば良いのかと思っていますと、『妙法蓮華経』普賢菩薩勧発品第28にある「少欲知足」という言葉を思い出します。私はこの言葉がこんな世の中でとても大事なのではないかと思います。この言葉の意味は、欲が少なくて、少しの物を得て満足する、と言う事でありますが、この言葉は単に物欲に限らず、全ての行いに通じる事だと思われ、日々の生活を只、正直に過ごし、この「少欲知足」の考えで普段の生活を行えば私は現在社会の大半の問題が解決するのではないかと考えています。この世界にある全ての物には必ず限りがあり、そして限りがある物は全て終わりを迎えるのが定めとなっています。地球上の資源、人の寿命、様々な物に限りがありますが、それに対して人の欲は尽きる事がありません。多くの人が、自分の人生が一番大事と思っておられると思います。未来の事は、我々の関係の無い所と考えておられるでしょう。しかし、過去の人がいるから今の自分が存在しているのです。そして今の自分がいるから未来の人が生まれる事ができるのです。それならば、少しでも自分以外の事に対する思いやりの心で行いをしてみてはどうでしょうか。そんな心掛けがより良い未来を創っていくのではないでしょうか。この世の中で人間は一人では生きていられません。必ず誰かしらの世話になって生きているのです。自分の命は両親から与えられ、普段の食事、着る物、住む所等、全て自分以外の存在が関わっています。そんな時に「少欲知足」の心を持って普段の生活を送れば、必ずお互いがそれぞれを思いやり、「偽装」と言う欲に目が眩んだ過ちが無くなると私は思っております。この「少欲知足」はただ単に、何事も少なくするのではなく、程々に節度を弁える事が大事であると言う事でありますので、この「少欲知足」の精神を持って日々の生活を健やかに過ごして頂けたら幸いに思います。私も、普段の生活で多くの人々に支えてもらっていますが、ついつい多くの物を望み、多くの人々に多くの迷惑をかけている事を反省する日々でございます。皆様も普段はなんとも思ってない行動や言動がひょっとしたら他の人の迷惑や気に障る事があるかもしれません。もし悩んでいるのなら、この「少欲知足」の精神で今一度考えてみてはどうでしょうか。必ず皆様の救いの手になる事だと思われます。
本日は取るに足らない若輩僧侶のお話でしたが、最後までお聞きくださいましてありがとうございました。本日も皆様にとって良い一日である事を心から祈念いたしまして、終わりの挨拶とさせていただきます。