RSKラジオをお聴きのみなさん、おはようございます。本日は、岡山市にあります、日蓮宗太然寺、住職大野玄秀がお話をいたします。
皆さんのお宅には菩提寺がありますか?菩提寺というのは法事やお盆のお経などでお世話になっているお寺のことで、檀那寺とも言います。そして、お寺側から言うと、法事やお経に行く家を檀家といいます。
その檀家の大きな努めとして、『菩提寺の護持』があります。
一例を挙げますと、伽藍の相続です。とかくお寺の建物というのは古い場合が多いですから、その修理とか、建て替えが必要になってきます。京都のお寺のように拝観料がたくさん入ればいいのですが、普通のお寺はそうはいきませんから、その為のお金はどうしても檀家さんが出さなくてはなりません。皆さんも菩提寺から勧募の依頼が来たことがおありでしょう。その時どうされましたでしょうか?
自坊太然寺の本堂はちょうど今から160年前、江戸時代の末期、嘉永元年に建てられたものです。そして、このたび、屋根瓦を新調して屋根の瓦葺き替え工事を行いました。
もちろん、この160年の間、瓦を降ろして屋根地を直したり、瓦を洗ってまた上げたりと、数十年ごとに修繕を行ってきましたが、ここ最近、雨漏りが激しくなり、瓦も限界と思われ、この度の屋根替えとなりました。
まず、屋根替えに際し、本堂内にお祀りしてあります、御本尊様を別の棟に移す作業を行いました。日蓮宗の多くのお寺ではお曼荼羅に書かれている諸天がその配置に従い祀られていますから、お祖師様をはじめ、釈迦・多宝如来、四菩薩、四天王、文殊・普賢菩薩、不動・愛染明王、鬼子母神、三十番神等、二十体近い数の仏像があります。お断りのお経をあげて、一体一体丁寧に移動します。ほとんど、丸一日かかりました。
翌日から、直ちに足場が組まれ、瓦下ろしが始まりました。まず、鬼瓦を外していきます。自坊の鬼瓦はまさに恐ろしい鬼の顔をした鬼瓦で、傷みの少ない物は焼き直しをして使います。幸い、大棟にあがっている左右の大鬼瓦は傷みが少なく焼き直して使うことになりました。4つの部分に分解して慎重に降ろします。降ろした鬼瓦をよく見るとまさに160年前、本堂ができたときの年号が刻まれていました。
この瓦降ろしですが、なかなか大変です。屋根全体に約5センチくらいの土が上がっており、降ろすときにものすごい量の土煙が出ます。ご近所にかなりご迷惑をかけましたが、2週間程度でなんとか終わりました。
瓦降ろしが終わると、屋根地の痛みの激しい部分の板を張り直して、屋根地に防水シートをひきます。昔は杉の皮等を使っていたようですが、今では、紙と合成樹脂を貼り合わせたようなものを使います。木の皮と比べると、腐ることもなく、水のしみ込みもほとんど起こらないようです。また、そのシートには瓦の滑り止めの為の突起もついています。
それがすむと、昔でしたら全面に土を引き、その上に瓦を敷いていくのですが、現在では土を使わずに縦横に桟木を取り付けその上に平瓦をひいていきます。平瓦には、桟木に引っかけて載せるために切れ込みが入っており、載せるだけでもほとんどズレませんが、それに加えて釘で留めます。
次に平瓦と平瓦の隙間の上に丸瓦を乗せていくのですが、さすがに丸瓦の下には土を入れます。この土が横から吹き付けるような雨を防ぐ役割をするようです。そして、丸瓦も針金で固定していきます。上の方の急な勾配の部分もきっちりと針金で止めますから、よほどのことでもない限り瓦のズレは起こらないでしょう。
このように、普通の部分はどんどん葺かれていきますが、棟の部分は簡単にはいきません。平らな瓦を丁寧に重ねていき、漆喰とか針金で止めていきます。また、棟は大棟以外にも降り棟、隅棟とか無数にあり、それぞれに鬼瓦がつきます。大変根気のいる作業です。この作業だけで一月近くかかりました。そしてようやく完成です。屋根瓦だけ見ますと新築の本堂のようです。
この屋根替えは先代上人の時からの懸案でしたが、私の代で行うことができ、これからは雨漏りの心配がないことを思うと本当に安堵いたしております。憂い無く、次の代に渡すことができます。
さて、屋根替えのために場所を移動しました諸天・御本尊様ですが、あらためて近くで見ると、顔の塗装が剥がれたり、腕が取れたり、木の一部が朽ちて穴が空いていたりと、かなり傷んでおりました。ほとんどが二百年を越える物で中には四百年前以上のものもあり、その間ほとんど手を入れていませんでしたから、もっともなことです。人間が年をとるように仏像も長い年月の間に少しずつ痛んでいたようです。これが家電製品でしたら、新しいほど性能がいいですからすぐに買い替えますが、仏像だけはそうはいきません。人間が病気になると入院して手術をするように、大修復を行うことにいたしました。
この仏像の修復ですが、これまた、根気のいる作業のようです。
まず、金箔を施してある仏像は、すべての部品を分解し、表面の塗りや下地を剥がし、木地の状態にします。修復中の写真も戴きましたが、かなり小さな部品に分かれています。そして破損部分や不足部分を補修・研磨し、漆の下塗り、更に上塗りをして研磨します。そして箔下塗りをして、金箔を押します。金具や宝冠は磨き直して本金メッキで仕上げます。
四天王などの彩色を施してある仏像も、すべての部品を分解して表面の塗りや下地を剥がし、破損部分や不足部分を補修して研磨します。そして木地に下地を塗ってさらに研磨します。そして顔料や金箔で彩色をしていきます。写真をお見せできないのが残念ですが、この修復によって新品のようにきれいになりました。この技術はすごいものですね。
この完成を祝って、先日、檀家の方々と共に、落慶式を行いました。皆様方の浄財によって、菩提寺の本堂の屋根が立派になり、御本尊様が見事に修復されたのですから、本当に喜ばしいことです。
このように、菩提寺の護持というものは大変なものです。しかし、ご先祖様から引き継いできた菩提寺があるというのも考えようによっては幸せなことです。菩提寺の護持をすることで、大きな功徳を積むことができます。檀家の努めとしてお寺を護持し、次の世代にしっかりと受け渡してゆきたいものですね。
本日は日蓮宗太然寺住職、大野玄秀がお話しをしました。
なお、本日のお話は、インターネットで見ることができます。「仏教アワー」で検索してみてください。日蓮宗のお坊さんのお話だけですが、過去のお話も載っています。
では、またの機会がありましたらよろしくお願いいたします。 南無・・・