おはようございます。本日は、岡山市北区船頭町 日蓮宗妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げます。早朝よりお目覚めの方、もう家事を始められた方、ハンドルを握ってお仕事中の方もいらっしゃると思いますが、しばらくの間お付き合いの程お願いいたします。
今日は10月10日。秋も次第に深まってまいりました。時の経つのは早いもので、今年もあと2ヶ月余りとなりました。私事で恐縮ですが、私は今月が誕生月ですので、また一歳年を重ねることになります。子どもの頃の誕生日は、ケーキを食べてプレゼントをもらえる特別な日でした。わくわくしながら指折り数えて楽しみに待っていたものですが、流石にこの年になると年をとる感慨のほうが強くなり、お祝いどころではありません。それと共に目が薄くなったり、記憶力がますます悪くなったりと老いの実感のほうが先に立ちます。殊に記憶力の衰えは、悲しいほどです。最近のテレビに出てくる芸能人の名前などさっぱり覚えられません。「えーと、ほらほら、あれあれ、あのドラマに出ていたイケメンの、背の高い、エーと、誰だっけ…」と会話になりません。
先日、ある方に記憶力が悪くなったと愚痴をこぼしていたら、「私もそうですよ。最近物覚えがめっきり悪くなってしまい、本当に困ってたんですよ。でも、記憶力回復に効くサプリメントがあるから飲んでごらんと勧められて、そのサプリメントを毎日欠かさず飲むようになってからは、すっかり記憶力が良くなって、昔みたいになんでも覚えられるようになりました。」「えー、それはすごいですね。私も試してみたいな。」「飲んでみると良いですよ。若い時のような記憶力が戻りますよ。」「そうですか。ぜひ教えてください。そのサプリメントはなんて言う名前なんですか。」「えーと、なんて言う名前だったかな、毎日飲んでるんだけど…」
毎日飲んでる薬の名前を忘れるくらいはご愛敬ですが、私たちは日々もっと大切なことを忘れていないでしょうか。忘れると言うよりも、身近にあってその価値に気づかないままになっていることが沢山あるのではないでしょうか。
ある日突然、家族や近しい方が亡くなることがあります。急な事故の場合もありますし、長い療養生活の果てに亡くなることもあるでしょう。しかし、いずれの場合も近親者にとっては、その日その時を予測することの出来ない突然の他界です。そんな時、今まで気づかなかったことにふと気づくのです。
私たち日蓮宗の宗門で発行している日蓮宗新聞に「たった7秒の忘れ物」というコラムが連載されています。そこにはご葬儀や法要の時に遺族の方々が、故人に向けて語りかけたそんな気づきに満ちた言葉が綴られています。いくつかご紹介してみましょう。
69才で亡くなった夫への妻の言葉
生きているときは、その人の嫌な面ばかりが見えてしまうのに、
死んでしまうと、いい面ばかりが溢れてくるなんて…
皮肉ですね。
もしこれが逆だったら、残ったものはこんなに苦しまずに済むでしょうに。
何なのでしょうね、これって…。
55才で亡くなった母親への息子の言葉
いつもぎりぎりになるから
朝メシはいらないと言っているのに
毎日並べてたみそ汁とごはん。
全く口をつけられていないみそ汁を
母はどんな想いで片づけていたか…
涙が止まりません。
なぜ、いただきますを言うために
早く起きなかったのか。
なぜ、たったの10分ができなかったのか。
ごめん母さん。
87才で亡くなったお祖父さんに対する孫の言葉
おじいちゃんのしょんぼりした顔 忘れません。
みんなと違う色は嫌だと言ったら、
同じ色のランドセルを買い直してくれた。
お誕生日会にふかしてくれた畑の芋
ケーキがいいと食べなかった。
仕事で忙しい母のかわりに来てくれた参観日、
かっこわるいから嫌だと言った。
父がいない僕を寂しさから守ってくれたのに。
ごめん、おじいちゃん、ありがとう。
この「たった7秒の忘れもの」をまとめた瀧本光静さんは日蓮宗の尼僧さんです。瀧本さんは言います。「今一番あたりまえの存在になっている人が、最も大切な人であることを忘れないでください。両親、夫、妻、兄弟、友人、部下、同僚……あたりまえの存在がたくさんいる人ほど伝え忘れている言葉もたくさんあると思います。」
確かに私たちはあまりに当たり前になっているものには注意を払わないことが多いでしょう。身近な人を「空気のような存在」と表現することがありますが、私たちは目に見えない空気の重要性には気づきにくいものです。水に入ったとき、溺れかけたときに初めて私たちは、空気なしでは生きられないことを身をもって知ります。同じように大切な人を失ったときに初めてその人の大きな価値に気づく。それでは遅すぎるのではないでしょうか。ですから、「たった7秒の忘れもの」というタイトルには次のようなメッセージが込められています。
たった7秒あれば、お互いにおかげさまと伝えることができる。
たった7秒あれば、お互いにありがとうと伝えることができる。
たった7秒あれば、お互いにごめんと伝えることができる。
どんな人生も最終的には突然終わりを迎えます。であればこそ、今しておかなければならないことが何かを私たちはよく考えておかなければなりません。
日蓮聖人の「先ず臨終のことを習うて後に他事を習うべし」との言葉は、後悔のない生き方をするための心構えと解釈することもできるでしょう。愛情や感謝は貯金することができません。あなたの周りの大切な人に今日からあなたの素直な想いを伝えることができれば、それは素晴らしいことではないでしょうか。
でも、既に亡くなってしまった方に愛情や感謝の気持ちを伝えたい場合は、どうしたらよいでしょうか。故人には直接言葉で伝えることができません。そこで、私たちは日々お仏壇に向かって仏さまの言葉であるお経を読み、お題目を唱えて故人への感謝の気持ちを伝えます。一周忌・三回忌・七回忌といった年回忌には、故人を思い出してご縁のある親族や知人を招いて追善供養の法要を営みます。故人は亡くなった後も、あなたとつながり、あなたの気持ちを受けとめ、あなたを守ってくださることでしょう。たとえ父母を失ったとしても、親孝行ができるのが、仏さまの教えなのです。
本日は、岡山市北区船頭町 妙勝寺住職 藤田玄祐がお話し申し上げました。皆さま方のご多幸をお祈りいたします。