マヨネーズをこよなく愛する人をマヨらー、ごまをこよなく愛する人はゴマらー、とりわけ私はカシラーとでも言っておきましょう。
私は倉敷市天城にございます日蓮宗正福寺修徒 菊岡妙光と申します。宜しくお願いいたします。
先ほど私、カシラーと申しましたけれども、お魚の頭、つまりかしらをこよなく愛しているわけではございません。スイーツの菓子でございます。私の友達からは
「あなたの体は、お菓子で出来ていると思うわ・・・」
とあきれられた事もあります。しかし、「過ぎたるは及ばざるが如し」。食べ過ぎると、体にもよくありません。体重計の針が1ミリ、右に傾いただけでもショックで心が苦しくなります。ですから、食べたい気持ちを抑えようと努力するわけです。
私の努力を知ってか知らぬか、この世は大変残酷です。日々、おいしいお菓子が職人さんなどによって生み出されているんです。カシラーである私の心は、夏の雲のように食べたい気持ちが膨らんでいく。
・・・で、私の師匠に話したら、間髪入れずに「欲だね・・。」ときっぱり。
私たちの心からは、様々な“欲”が出てきます。食欲、自分の名誉ばかり欲しがろうとする欲、お金や物に対する欲、異性に対する欲などなど。そして、世の中も私たちの心を誘惑するものに満ち溢れています。
私たちは、ついつい誘惑に負けてしまい心踊らされ、飛びついてしまいます。心が満たされるまでとことん突き進んでしまうのです。私たちの欲は、自分ではなかなかコントロールが難しく、簡単にはブレーキがかからない。しかし、先ほども言いましたが、「過ぎたるは及ばざるが如し」。健康上、金銭面、家庭内など、必ずどこかに支障が起こってくるのです。そして、苦しみとなり、自分自身を苦しめるのです。さあ、困りました。
では、私たちの心の欲をコントロールし、ブレーキをかけ、苦しみを避けるためにはどうすればよいのでしょうか?
日蓮宗が拠り所としております、妙法蓮華経 如来寿量品第十六の中で、覚りをひらかれ仏様となられたお釈迦様はこのようにおっしゃられています。
「我諸々の衆生を見れば苦海に没在せり。故に為に身を現ぜずしてそれをして渇仰を生ぜしむ。その心恋慕するによってすなわち出でて、為に法を説く。」
つまり、仏様であるお釈迦様は
「私が、この世の生きとし生けるものを見れば、皆、苦しみという海にしずんでいるようだ。なのに、苦しみの海から出ようともしないし、抜け出したいとも思わない。そして、その方法をも求めようともしない。皆が教えを求めようとする心を起こさせる為に私は姿を顕していないのだよ。しかし、この苦しみの海から抜け出したい。それには仏さまに救っていただくしか方法はない。仏様の教えをお伺いしたい。あ〜仏様、お会いしたい。と心から恋慕い、願ったとき私は、苦しみから抜け出す教えを説きましょう。」と仰って下さっているのです。
そして、この世はすべて苦しみであり、苦しみの原因は、私たちの心にある、むさぼり求める心、憎み怒る心、心が暗くて本質を見抜く事が出来ない心という毒におかされているからだとおっしゃられているのです。その、毒には仏様の教えしか効果がないのです。まるで解毒剤のようですね。
苦しみから抜け出す事の出来る教えが、日蓮宗が拠り所としている妙法蓮華経です。日々、妙法蓮華経を唱えて仏様にお逢いし、仏様の功徳のつまった特効薬、南無妙法蓮華経を唱えていると、苦しみを自然と避けることが出来るのです。
先日、私、スーパーに買い物に参りました。夕飯の材料をかごに入れ終わり、足が向かう先はレジではなく、そう!お菓子のコーナー。困った事にお菓子をひかえている時程、お菓子がむしょうに欲しくなってしまいます。欲の心が顕われて来たのです。その時、ふと、片隅のコーナーに目が行きました。それは、お花のコーナーです。ピンク、黄色、青、花々達の鮮やかさに心が奪われました。そして、私は、「お菓子を買うお金で仏様のお花を買って帰ろう。」と思ったのです。
普段の生活のほんの一コマですが、心にブレーキがかかり、「あ〜、仏様のお陰だなあ。」と感じるのです。
先月、お盆にお檀家さんのお宅にお参りにお伺いしたんです。この場では、仮に“庄司さん”とさせていただきます。
「こんにちは〜。庄司さん、お寺です。妙光です〜。」
と、お声をかけると奥から檀那様が出てこられました。庄司さんのお宅はいつでも、優しくて明るい奥様が迎えてくださるのですが、珍しく檀那様だったんです。お家の中もいつもより静かに感じました。夏休みなのにお子さんの声が聞こえなかったんです。私は、『奥様は急用でも出来たのかな・・』と少し寂しく思っていたのです。そして、お参りが終わり、お茶を御よばれしながら、「今日、奥様はお出かけなのですね。」と話すと、檀那様が寂しそうなお顔で「子供と一緒に家を出て行ってしまったんですよ。」私は思わず「えっ!」と言葉がつまりました。檀那様が「わたし、会社や友達との付き合いで度々お酒を飲みに行ったりして、ほっつき歩いていたんですわ。断るにも、断れんかって。まあ、自分もお酒が嫌いなわけでもないし。 ある日、嫁さんが、私あんたともうやっていけへん!って言って、子供と出て行ってしまったんですよ。」「そうだったんですか・・・」「妻も子供もいない家の中がこんなに暗くて、さみしいものだったのかと初めて気付きましてね。
仏さんの事はいつも妻がしていたんです。お盆のお供え、私今回初めてしたんです。どう飾ったらいいかわからなかったんですが、これで良かったのでしょうか?最初は、妻が出て行ったことを上司や友達のせいにしていたんです。度々誘うのが悪いんやって。自分の苦しみやつらさや、寂しさの矛先をどっかに持って行きたかったんですね。でも、妻がいない間、今まで向かわなかった仏様にお供えし、手を合わし、短いですけどお参りするようになって、酒の誘惑に負けた自分が悪かった。家族の事もかえりみず、自分の好きな事ばかりをしていた自分が悪かったと気付かせてもらったんです。」 と話してくださいました。それから数日して、奥様とお子さんは帰ってこられたそうです。今では仏様にお供えをされるのは檀那様らしいです。
日蓮大聖人様は法華題目抄において
「琥珀は塵を取り、磁石は鉄を吸う。我等が悪業は塵と鉄との如く、法華経の題目は琥珀と磁石との如し。
かくの如く思いて常に南無妙法蓮華経と唱うべし。とおっしゃられています。
透明で、美しいつやのある、こがね色の琥珀の中をよ〜く見てください。小さな虫やごみのようなものが入っています。棒磁石を砂の中に入れてみてください。静かに抜くと、磁石の周りに砂鉄がくっついてきます。
私達の毒に犯された心から出る日々の欲は琥珀の中の塵、磁石にくっつく鉄のようなものです。お題目「南無妙法蓮華経」を唱えると、お題目が琥珀や磁石のように私達の心の毒を吸収してくれるのです。
毒が私達の心から少しずつ減ってくると、欲の心も減り、自分の心をコントロールしやすくなります。ブレーキのききも良くなります。そうなると、苦しみも減るはずです。
ラジオをお聴きくださっている皆様に、法華経、お題目の素晴らしさをお伝えし、そしてお勧めし、お話を終わらせていただきたいと思います。本日は日蓮宗 正福寺宗徒 菊岡妙光がお話させていただきました。