皆様、おはようございます。今朝もお元気でお目ざめののことと存じます。今朝は、岡山市北区建部町・日蓮宗成就寺住職・広本栄史が放送いたします。
さて四月は、私たち仏教を信仰する者にとって二つの大切な行事があります。そのひとつは、四月八日のお釈迦様のお誕生日です。お釈迦様は、悟りを開いて多くの苦しむ人達を救うために誕生されました。
私たちは、周囲の人たちの中で「これをするために、私は生命をいただけたんだ」というような実感を味わうことはできるでしょうか。なかには、実に満足しながら自分の誕生を頷いている人もいるでしょう。しかし、後悔しながら生きる人のなんと多いことでしょう。後悔をなるべく少なく、小さな喜びをなるべく多く、そんな心の持ちようを教えて下さったのがお釈迦様です。
もう一つは、四月二十八日の日蓮宗の開宗会、すなわち日蓮宗がお誕生をした日です。
先日、あるお方からのお尋ねがありました。お釈迦さまは、たくさんのお経をお説きになりました。その中の法華経を弘められたのが日蓮さまでした。この教えを、誰にでもわかるように一口で説明して下さいというお尋ねでした。
それは七仏通戒偈というお経に「願諸衆生 諸悪莫作 諸善奉行 自浄其意 是諸仏教」と説かれています。平たく申しますと「悪いことをしてはいけません。善いことをいたしましょう。その為には、自分の心を浄めましょう。これが仏さまの教えの願いです」とお返事申し上げました。なんですか、そんな簡単な教えですか、とおっしゃいました。そんなことは、子供でもだれでもわかっているというお話しでした。が、しかしわかっていても実行はなかなか難しいことです。
その悪いことをしてはいけないということをお釈迦さまは、五つに戒められました。一、不殺生戒、二、不偸盗戒、三、不邪淫戒、四、不妄語戒、五、不飲酒戒、です。一の不殺生戒と申しますのは、命あるもの,人さまの命を奪ってはいけません。二の不偸盗戒とは、他人の物を、人に知られないように取ってはいけません。三の不邪淫とは、男女間の道にはずれた情事、不正でみだらなことはしてはいけません。四の不妄語戒は、うそをついてはいけません。五の不飲酒戒は、お酒を飲んで人に迷惑をかけてはいけません。と、戒められています。ところが現代の世の中、恐ろしいことわが子を虐待して死亡させるという痛ましい事件が再々起きています。
3月25日の新聞によりますと、奈良県桜井市で吉田博という父と真朱という母との子・智樹ちゃん(5)が、満足に食事を与えられず栄養失調で死亡した。母・真朱は保護責任者遺棄致死罪で起訴された。両親は、智樹ちゃんが餓死するまでの2年近くカーテンで仕切ったロフトに閉じ込めるようにしていた。「妹が生まれ、部屋が手狭になった」という理由だった。はしごは付いていたが、幼く、衰弱した智樹ちゃんは自力では下りられなかった。紙オムツをはかせて、満足にトイレに行かせず、下ろすのは風呂に入れる時ぐらいだったという。夫婦は、2003年(平成15年)5月に結婚し、6畳の洋間と3畳程度のロフトのある1Kのアパートに移った。翌年7月に智樹ちゃんが生まれた。夫婦仲が冷え始めたのは、真朱容疑者が長女(3)を妊娠した06年、博容疑者が自分の親類が消費者金融から借りた借金の連帯保証人になっていたことを、真朱容疑者が督促状で知ったのがきっかけという。同年12月、長女の誕生後、真朱容疑者はまだ2歳の智樹ちゃんだけをロフトで生活させるようになった。食事は、智樹ちゃんを除く3人でロフトの下の洋間で取り、智樹ちゃんの分はロフトに差し入れた。智樹ちゃんへの暴行もこの頃から始まったという。
「だんなに似ている。むかつくねん」と知人の男性に真朱容疑者が漏らすのを聞いた。かまってもらえなくなった智樹ちゃんが口ごたえをするようになり、余計に腹をたてて、叩いたり、つねったりするようになった。夫への不満のはけ口になった。
幼い時から命を大切にする幼児教育をしっかりいたしましょう。それには食事の時、「いただきます」「ごちそうさまでした」と言い合いましょう。いただきますは、これからいただく食物の命をいただきます、ごめんなさい、だと思います。ごちそうさまは、今いただいた食物を作って下さった多くの方々、またお父さん、お母さんありがとうございます、という感謝の心を培うことだと思います。
私たちが、どのような生き方をするか、どのような心がけを持ったらよいか、常に心をみがきながら、反省しながら生きることが大切だと思います。
江戸時代の国学者・塙保己一は、不幸にも6歳の時に目が見えなくなり、12歳でお母さんと死別した悲劇の人でした。彼は、生活のために琴と鍼を習いましたが、後に賀茂真淵について国文学を学んだところ、抜群の努力と非常な記憶力によって、国学だけでなく中国文学にも通じました。その彼が、雪の降るある日、平河天満宮へ参詣に出かけました。ところが折悪しく高下駄の鼻緒を切ってしまったので、境内の版木屋に入り、「まことに申し訳ございませんが、そこで高下駄の鼻緒を切ってしまいました。何かひもでもいただけないでしょうか」と、店の人に頼みました。すると店の人はさも迷惑そうに、目の不自由な彼の前にひもを放り投げたのです。彼は手探りでそのひもを探しました。するとその姿を見た店の者たちは手を叩いて笑いあうのでした。さすがの彼も、どうにもいたたまれず、鼻緒もたてずにそのまま悲しみを胸にいだいて店を飛び出しました。
その後年月を重ねて彼は、苦心の「群書類従」という後生に残る立派な書物を完成しました。そしてこの本を出版することになった時、彼は版元としてこの版木屋を幕府に推薦したのです。かつてのことなど何も知らない版木屋の主人は、ただ彼に推薦の礼を述べました。
すると彼は、昔の仕打ちを話し、「いや実は私が今日あるのは、あの時お店の方々が、私に示された冷たい態度のおかげです。お礼を述べたいのは私の方なのです」と見えない目に深い喜びを浮かべて語りました。
目が悪くても、笑われることのない、人に必要とされる人間になろう。そう努力するきっかけをあなたのお店の人たちが与えてくれたということです。主人も、店の人たちも自分たちのいたらなさを深く恥じたことはいうまでもありません。そして、このように自分だけでなく、相手の心の目をも開かせたのです。
心をみがき、助け合いながら楽しく生きてまいりましょう。今朝は、建部町成就寺・広本栄史がお話いたしました。