みなさん、おはようございます。朝早くから、ラジオ法話をお聴きくださってありがとうございます。
私は、日蓮宗教師 菊岡妙光と申します。しばらくの間、お付き合いの程、宜しくお願いいたします。
さて、皆さんは、朝ごはん、もうお済ですか?それとも、これから支度をされるのでしょうか?
私は、朝ごはんにお味噌汁をよく作るんです。お味噌汁の薬味といえば、何がありますかね〜?
私はおネギを一番に思いつくのですが・・・。
この間ネギを使い終わりましてね、根っこの部分を水につけておいたんです。すると切り口から、また、にょきにょきと青い部分が出てきて、それを見て私、
「命ってすごいなあ、おねぎも生きてるねんなあ。また使えるやん。」
と一人で感動しておったのですがね。
お味噌汁の中にプカプカ浮かんでいる青いねぎも、ついさっきまで生きていたのですね。
お味噌汁だけでなく、食卓に並べられた、皿の上のおいしそうな料理達は、それぞれの命を懸命に生きていていました。
その命を私たちがいただき、自分の命に変えているわけですね。
先日、法事の後、ご家族様、ご親戚の方々と一緒にお食事の席につかせていただきました。一軒の料理屋さんに入りまして、その料理屋さんの壁に大きな一枚の木の板が壁に掛かってありましてね、そこに筆で書かれていました言葉に、ふと目が止まりまして。それには『いただきます』という一編の詩が書かれてあったのです。
ちょっと、ご紹介させていただきますと、
『いただきます』
かけがえのない命と
はるかつながる命と
見知らぬ人の
汗にかえたる命に
感謝をこめて 合掌
食事の前のあいさつ、「いただきます」、そして、食後の「ごちそうさまでした」にもこのようなさまざまな命に対しての感謝の気持ちがあらわされているのです。
私たちが感謝の気持ちを持たなければいけないのは、自分の命をつないでくれている食べものだけでなく、目には見えないけれども、自分を支えてくれているありとあらゆるものに対してということなのですね。
周りの人々、環境、空気、太陽、宇宙、何もかもすべて。
今年の夏は、じりじりと厳しい暑さが続き、本当に暑かったですね〜。私、あるご婦人に「今年の夏は、海水浴にいってきたの?」と聞かれるぐらい、顔も腕も、首の後ろも真っ黒になってしまいました。ようやく秋の優しい風を感じられるようになって、やっと穏やかな気持ちになれるようになりました。
一番良いこの季節に、心落ち着けて、物思いにふけってみる、または、お仏壇の前で、南無妙法蓮華経と唱えてみてはいかがでしょう。そうすると、自分は、何か偉大なものによって生かされているのだなあ、と感じることがあります。無限大のお慈悲とでもいいましょうか。
これこそが、永遠のいのちをもっておられる仏様なのです。私たちは、仏様の大慈悲に包まれて、生かされているのです。
お寺でお給仕して、生活させていただいていますとね、私は感謝なくしては生きていけません。檀家さんが仏様にお供えされたお米を炊いて、ホカホカのご飯を仏様にお供えする。「仏様、ご飯いただきます。南無妙法蓮華経。」手を合わせる。
私がいただいている三度のご飯プラスおやつ、そして着物などは、檀家さんが仏様にご供養されたものを、私は、仏様からいただいているからなのです。ですから、その時点で、仏様、檀家さんのおかげで私は生かせていただいているという事になります。
「妙光さん、何かお手伝いすることがあれば、いつでも言ってくださいね。」
お寺の事をお手伝いくださっている皆さんは、自分の用事を後回しにしてでもお寺に足をお運びくださいます。
「高橋さん、あまりご無理なさらないでくださいね。」
「私のようなよたよたのお婆さんでも、お役に立てることあるかしら・・・。」
お年を召されてだんだん体の自由が利かなくなってこられても、それでも一生懸命、お力を貸してくださいます。
一人では、出来ない事も、お寺にお手伝いに来てくださっている方々のお力添えによって、成し遂げる事が出来ます。そのお姿はまるで仏様です。私は「本当にありがたいなあ、南無妙法蓮華経」思わず、手を合わせます。
実は、私が、手を合わせているのは、私を支えてくれている方々のいのちの中で輝いている仏様に対して、ということなのです。
日蓮大聖人さまは、こうおっしゃられています。
仏さまのいのちは、妙法蓮華経であり、妙法蓮華経の中に仏様は住んでいらっしゃる、やどっていらっしゃると。
私にも、あなたにも、ありとあらゆるものの中には、仏様が住んでいらっしゃる、つまり、妙法蓮華経という仏様の命、仏様の無限大の大慈悲が宿っている、ということなのです。
すべてのものの命に感謝するという事は、仏様に感謝する、妙法蓮華経に感謝するということなのです。それが、南無妙法蓮華経です。
いのちといのちの支えあいの中で、私たちは生きています。そして、仏様の命の中に包まれて生きている。私達の中にも、仏様のいのちが輝いている。
みなさまが、そのことを心の隅にでも大切にしまっておいてくだされば、大変ありがたく感じます。
それでは、最後までお聴きくださった皆様のいのちの中にある、まぶしく輝いた仏様のいのちに感謝、合掌いたしながら、今朝のお話しを終わらせていただきたいと思います。
倉敷市 正福寺修徒 菊岡妙光でした。