ラジオをお聞きの皆様、おはようございます。今朝は、日蓮宗・報恩結社・教導 宮本師pがお話させていただきます。
平成23年の新年を迎えて、すでに多くの方々が寺社仏閣の初詣をなさったことと思います。それぞれの人々が、家内安全や身体健全、交通安全、良縁成就など、特に受験生は合格成就のお願いをしてきたことと思います。私たち日本人がお正月のお参りだけでなく、時として窮地に陥ったときなどに神仏にお願いをして祈ることは、私たちの生活のなかに深く根ざしている事のように思います。
昨年、小惑星探査機「はやぶさ」が7年間・60億キロの宇宙空間の旅の間、幾度となく重大な故障や通信の途絶、行方不明になるなどのトラブルを克服して約3億キロ先の小惑星「イトカワ」に着陸して世界で初めて物質を採取し、無事に地球帰還を果たしたことは、私たちに夢と希望を与えてくれました。このような現代科学の最先端でもある宇宙科学の現場において、一見無縁と思われるような祈願札がお祀りされているのがテレビに写し出されましたが、不思議と違和感が感じられませんでした。この「はやぶさ」のチームを率いるリーダーである川口淳一郎教授が、東京都内の神社に「はやぶさ」の宇宙空間での航行安全と無事帰還を祈願していたというのです。この祈願をするようになったきっかけについて川口教授は、
『「はやぶさ」が行方不明になったとき、私どもは神頼みするようになった。「運を天にまかすのか」などといわれたが、神頼みはきっかけを見失わないためにも必要だ。運や機会をとらえるのも実力のうち』と語っています。およそ神頼みとは無縁と思われるような科学者が仏や神に願い祈ることによって、大きなプロジェクトを達成したということは、いかにも人間的、日本人的といえます。
さて、昨年春のことでした。私のお寺の信者さんから健康診断の結果、膵臓ガンが見つかったという知らせを受けました。初期をやや過ぎた状態のガンでしたが、手術をして切除すればやがて健康が回復するというお医者さんの話だったようです。この方は信仰熱心な60代のご婦人で、毎月2回定期的にお寺に通い、私とともにお経を読んだあとは、しばらく唱題行をして帰られるということをここ数年間にわたって続けてこられていました。お寺の行事にも可能な限り参加して、まじめな信仰生活を送っていたご婦人でした。
幸いなことに、病院のベッドの空きがすぐにあり、ガンの発見から1ヶ月ほどで手術を受けることができました。手術は長時間かかりましたが無事に終えることができて、その後は抗がん剤の投与が始まりました。幾多のガン患者さんが経験しているように、抗がん剤の副作用はもともと丈夫でなかったそのご婦人には、かなりの負担となったようでした。食欲不振、吐き気、体のだるさなど、ずいぶんとつらい日が続いたようです。
こうした手術後の闘病生活のベッドのなかでその方は、「自分なりにまじめにお経を読み、お題目を唱えてきたのに、なぜこんな病気になって苦しまなければいけないのだろう」「悪いことをしてきたつもりはないのに、なぜこのような思いをさせられるのだろう」「いっそのこと信仰などやめてしまおうか」と、様々な考えが頭の中をめぐったそうです。このような思いにとらわれているとき、この方の表情は暗く、たまの電話連絡の声も力なく、今までとはうって変わった弱々しいものでした。
そしてある日のこと、その方から私のもとに電話がかかってきました。
「お上人さん、私は今回病気になってずいぶんと悲観的なことばかりにとらわれていましたが、そんな私は間違っていることに気がつきました。手遅れにならずに早いうちにガンが発見されて、なかなか空きがない病室も空きがあって、すぐに手術を受けられたのは本当に幸運でした。これもお上人さんと一緒にずっとお経を上げてきたおかげだと思いました。もし私が病気を理由に退いてしまったら、これまでのことが無駄になりますし、今後も病気と闘ってゆくためのご加護を失ってしまうことになります。そう思って、今は枕元にお経本をおいて、体調が良いときにお経とお題目を唱えています」
そう語るご婦人の声は、以前と違って明るく、元気を取り戻していました。病気から回復して再び元気な体になることへの願いと祈りの毎日を送るようになったのです。その後一時期は大きく体調を崩したこともありましたが、奇跡的に回復して今では気持ちも明るくなったようです。このご婦人の場合、病気に打ちのめされた時期はあったものの、仏や神に願い、祈ることによって悲観的な気持ちから抜け出して、一縷の希望をみいだすことができたのでしょう。そうした積極的な姿勢が、病気の本復へと近づく後押しをしているのかもしれません。
人には生まれてきたときから四つの苦しみがあるといわれます。生老病死の四苦がそうです。生きてゆく生活のなかで様々な悩みごとをかかえて苦労をします。またいつまでも若くあり続けることはなく老化がいろいろな悩みをもたらします。一生を通じて元気でいることはなく必ず人は病気になり、そのために苦しい思いをします。そして人には必ず寿命がありますから、いつかは死を迎えなければなりません。しかしながらこうした折々にこそ、人は願い、祈るということをします。考えようによっては四苦というのは、ただの苦しみではなく願いや祈りのチャンスを与えられるものだといえます。そして、様々な人生の過程で、人が願うことは千差万別です。身体健全もあれば家内安全、交通安全もあります。しかし、あらゆる願いの行き着くところ、根本は、成仏つまり仏になることが究極であり、意味するところは仏法で説いている真理を悟ることだと言えるでしょう。
ところで真理を悟るとはいっても、私たち凡夫がそうた易く悟りの境地にいたることは至難のわざです。人生の様々な局面において、仏や神にすがり、祈ることは悟りに近づくためのきっかけですが、さらに悟りの門を開くための手段として五字七字のお題目「南無妙法蓮華経」が用意されているのです。そしてこのお題目を唱える唱題こそが悟りへ至る門を開く鍵となります。
日蓮大聖人が観心本尊抄で「釈尊の因行果徳の二法は、妙法蓮華経の五字に具足す。我等、この五字を受持すれば、自然に彼の因果の功徳を譲り与え給う」と示されているのはこのことです。
悟りの世界というのは理論、理屈ではわかりません。さわることも、見ることも、説明することもできません。不可思議の境地というように、思考や議論によってでなく、信仰体験を通じて体得する世界だといえます。人生、苦しみのあるときはもちろんのことですが、楽しい時にもまたお題目を唱えたいと思いす。苦楽ともに思い合わせての南無妙法蓮華経なのです。
今朝は、日蓮宗・報恩結社・教導 宮本師pがお話いたしました。