皆様おはようございます。今朝は、岡山市北区庭瀬の大坊不変院住職、秦宏典がお話しさせていただきます。
先日22歳になる長女が、ケータイでキノコを育てているよと見せてくれました。その娘が、今月より一人暮らしを始めました。まだ、子どもで恐がりで一人暮らしなんかできないと思っておりました。家内は、そんなこと当たり前じゃないの、いつか通る道よ。と少々強がりながら言いましが、きっと寂しいのは同じだと思います。
長女がこの世に命を授かった時、いろいろ考えてつけた名前、親戚が集まってお宮参り、丸い石をのせてお食い初め、家内の実家からいただいたおひな様の前で初節句、一升の餅を背負ってやっと2、3歩歩けた初誕生日、かわいい着物でおめかしした七五三、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学、就職と、どの時期をとっても、ついこの間のように思い出されます。家内は、私の何倍も関わっているはずです。この調子では、結婚の時には、どうなることやらと思いやられます。
それに加え、長男が大学受験の真っ最中で、どうやら県外へ出ることが決まりそうです。胸にぽっかり穴が開いた感じです。ところが、小学四年生の次女は、心なしかいつもより元気に遊んでおります。
病気やけがもありましたが、よく育ってくれました。ご加護をくださった佛祖三宝さまと、家事全般と毎日のお弁当を作って送り出してくれた家内に感謝いたします。
そんなある日テレビを見ていますと、子どもの育て方がわからないという親御さんが増えているという番組がかかっていました。公民館などで育児教室が開かれると、積極的に参加してがんばっておられるお母さん方もいらっしゃいます。ところが、経済的に困難で、共働きのお宅では、なかなかそうもいきません。育児に不安を抱えても、誰にも相談ができず、子育てに行き詰まっている方もいらっしゃいます。疲れていて、子どもの行動にいらいらしたり、子どもが言うことを聞いてくれないと、どう接してよいかわからなくなるお母さんもいらっしゃいました。核家族で、自分の親にも頼れないし、近所づきあいも日頃からできていなくて相談できる人もいないという孤立した状況です。これがやがて、虐待へとつながっていく原因になることが多いそうです。
私は、地域の民生委員をさせていただいております。民生委員は、児童委員も兼ねていますので、子どもの見守りや学校行事への参加も任務になります。最近、岡山市要保護児童対策地域協議会関係職員研修会の御案内をいただき、子ども虐待についての講演を聴かせていただきました。衝撃的なことに、ここ数年児童虐待の相談件数が何万件もあり、虐待により死亡された子どもさんが、毎年5〜60人前後にも及ぶそうです。また、虐待を受けた子どもたちは、後々まで心に障害がのこってしまうということです。虐待は、なかなか外からは発見することが難しいようですが、子どもたちのSOSのサインを感じたら、必ず児童相談所や福祉事務所などに通報していただきたいと思います。
そのときの講師先生が事例として、こんなお話を聞かせてくださいました。
マンションの一室から、毎日のように夜になると子どもの泣き声が聞こえてくるので、おかしいと思った隣の住人が、地区の愛育委員さんに連絡しました。愛育委員さんは、その時間帯に何度か訪ねてみましたが、いつも電気が消えていて留守でした。ところが、やはり夜になると子どもの泣き声がしました。そこで、今度は警察に相談して来てもらいました。大家さんに鍵をお借りして部屋の中に入ってみれば、暗い部屋の隅っこに寒さに震えながら縮こまっている女の子がいました。事情を聞いてみると、お母さんと二人暮らしで、夜の仕事に行っている間、変な人が来てはいけないから、電灯もテレビもつけてはいけない。火事になっては危ないから、ストーブをつけてもいけないと言われていたそうです。我慢強い子でしたが、あまりにも寂しくて泣いていたようです。ところが、警察の人がお母さんいけないねと言うと、そんなことないもん、お母さんは私を心配して言ったの。我慢できなかった私が悪いの。と母親をかばったそうです。子どもは、幼い内は、どんな親でも絶対的存在です。だからこそ大切なことを伝えるチャンスを逃さないでほしいと思います。また逆に、そういう子どもたちや親をみんなで支えていける社会作りやネットワークが必要だと思いました。
私にはありがたいことに、どちらも80歳を超える両親が健在です。我が子と接する時、自分がその年齢の頃に親がしてくれたことを、不思議と思いだすのです。病気の時、父のオートバイの後ろに乗せてもらって病院に連れて行ってもらったこと。ぶつかって消えたストーブをつけ直そうとした時、点火口の窓が焼けていて危ないことを知らせるために、とっさに手を出して自ら火傷をして見せた母の行動。そして今になって気づいたことは、東京の大学に入学した時、今の私と同じ気持ちで、両親は私を送り出してくれたのだろうということです。
法華経の如来寿量品第十六というお経の中に、「我常に衆生の道を行じ道を行ぜざるを知って、度すべきところに随って、為に種々の法を説く、毎に自らこの念をなす、何をもってか衆生をして、無上道に入り、速やかに佛身を成就することを得せしめんと」というところがございます。仏様は、私たちの性格や学業の有無にあわせて、いろいろな方法を持って教えを説いてくださいます。そしていつも私たちが悟りを得て、一刻も早く仏様と同じ心持ち、すなわち、しあわせになれることを願っておられるのです。ということです。これこそがまさに親心であり、大いなる永遠のいのちの継承なのです。
子育ては、何が正解で何が間違いだというはっきりした答えはないかもしれません。しかし、親から伝えてもらったものを子どもへ伝え、その子どもが次の世代に伝えていく、大切ないのちの縦のつながりなのです。そして、助け合うことがいのちの横のつながりになります。みんながともに幸せになるためには、お互いが支え合っていくことです。縦と横に網の目のように、しっかりといのちのつながりができますことを願ってやみません。
今日は祝日で、学校はお休みですが、これからも子どもたちとなるべく顔を合わせて、声をかけて頂けますよう皆様にお願いいたします。
今朝は、岡山市北区庭瀬大坊不変院住職、秦宏典がお話しさせていただきました。ありがとうございました。 南無妙法蓮華経