おはようございます。今朝は加賀郡吉備中央町は妙本寺、平野泰淳がお話しさせて頂きます。先日の台風12号は大丈夫でしたでしょうか?私のお寺の周りでも、何カ所か小さな土砂崩れがありましたが、全国では未だ死者、行方不明者は100人を超えています。今年は東日本大震災に続き、自然の脅威を感じざるを得ない年となりました。大震災の折には、私も6月15日に仙台へ行かして頂きましたが、実際に現場を目の当たりにしますと、メディアで見聞きするのとは違う天災の凄まじさと、同時に復興して行くスピード、人の力強さも実感致しました。今も被災地では多くのかたが困難に立ち向かっておられます。被災された方々に心からのお見舞いと、一日も早い復興と慰霊とをお祈りするばかりです。 改めて人間は、大きな自然の恵みを享受して生かされている事を実感いたします。昨年の夏は残暑と熱帯夜も多かったですが、今年は些かましでは無いでしょうか。昨年は特別甘かった果物も、今年は昨年程では無く、大きさも小さいよ うに思います。例年、7月の始めには鳴き始める蝉も、今年の6,7月は 気温が上がらず7月末に鳴き始めていました。境内の銀杏も、昨年は全く出来無かったですが、今年はもう既に今迄に見たことのないほど数珠なりに出来ており、今からゾッとする思いです。どうぞお誘い合わせの上、参拝がてら銀杏狩りにでもお越し頂ければと思う所でございます。少しずつ毎年違う季節、心を奪われる四季の移ろい。ついつい目先のことに捕われがちになります。 それでも暑いなか、今年もいつものようにお盆のお経回りをしていたある午後、1人暮らしのおばぁちゃんが、いつもより元気に迎えて下さいます。「お上人さん、今日は孫が帰って来とるんでぇ!」 「そうですか!いいですねぇ!」と答えつつお邪魔させて頂きますと、小学校半ばの女の子が2人出て来て「こんにちは?」 とチョコンと正座して健やかに挨拶してくれます。「こんにちは?」 と笑顔に、こちらの疲れも吹き飛びます。少し話しを聞ききながら、ロウソクにお灯しをし準備をしていると、昨日から栃木より帰って来てるとのこと。いつも元気なおばぁちゃんも、ひと際元気です。「一緒に拝みますか?」と聞くと、「はい?」と元気なお返事。「じゃあ、ゆっくり拝むからね。」と(急ぐ心を抑えながら)、着いて来れる スピードで、ご先祖様に届くように始めます。2人とも大きな声で、日頃からの躾が伺えます。もちろん、おばぁちゃんも一緒。途中、ふと後ろを確認しますと、一つの分厚いお経本を2人で、一生懸命になって読んでいます。ご回向までしっかりさせて頂き「ご苦労様でした。」と振り返ると「ありがとうございました。」と言うなり「しびれたぁ?!」と、まだ小学生には長い正座はキツかったようです。お灯しを消し片付けをし終わると、今度は2人でお茶を出してくれます。「ありがとう。」と、出すや否や「ちょっと待って下さい。」と、奥に戻ります。「今度は何かなぁ?」と思いつつお茶を頂いていると、2人で何やら持って戻ってきます。「これどうぞ?」と、差し出されたのは、庭先にキレイに咲いていた小さなお花達。「今日、朝なぁ、お上人の為に摘んでくれたん。」と、おばぁちゃん。「でも、途中で弱っちゃって、もう一度昼前に摘んでくれたんよ。」2人から渡されたその花束は、水を含ませた物を銀紙で巻き、弱ってしまわないように細工がしてあります。 その花束は、小さいながら色々な思いが込められていました。 おばぁちゃんは、若くしてご主人を亡くされ、お一人で独りの息子さんを育てられました。
「わたしはなぁ、全然寂しく無いんよ。」
今は遠くで暮らす息子家族を思う、1人暮らしのおばぁちゃん。
「毎日、息子のお嫁さんが栃木から連絡してくれて、今日もこうして孫が帰って来てくれて、年に1.2度だけれども帰ったらすぐお仏壇に手を合わせてくれるんよ。それもこれも息子が良いお嫁さんを頂いてくれたお陰。よく躾けもされて本当に出来たお嫁さんなんよ。私はそんな家族が出来ただけで、もう感謝!感謝!いっつも幸せなんよ!」そのご縁は、苦労を乗り越えた得た賜物でしょうか。
「でも今まで辛かったしょう?」と聞くと、「私の苦労なんてね、この一瞬で吹き飛んでしまうんよ。今まで苦労とはこれっぽちも思ったことはないし言ったことも無いけれど、この前ね、初めて息子に言われたん「なんで、自分の為にそこまで苦労してくれたん?ありがとう。」って、その一言でもう辛かったことは忘れたんよ。」庭には一杯のお花たち。その笑顔の裏には、咲く花以上の絶え間ない涙と苦労があったのだと実感致しました。 お釈迦様は、死んでから成仏するのでは無く、今この生かされている娑婆世界で成仏して行きなさいと説かれています。その為には、苦を乗り越えならなければならない。いつも極めて楽な世界へ行ってしまえば心は腐ってしまいます。毎日焼肉や寿司ばかりだと胸焼けしまいます。質素な生活があるから贅沢がわかる、日陰があって日なたがある、苦があるからこその楽があるのだと思います。人は思い通りに行かず、焦ったり苛立ったりします。物事には限界が有るなどと言い怒ってしまします。苦しくて、悲しくて、それでも嬉しくて、楽しい。そんな目先のことに捕われてしまいがちな我々凡夫です。すぐには答えは、出ないけれど未来に繋がる種を蒔いて行かなければなりません。じっくり焦らず腰を落ち着かせ、先ずその苦に逃げることなく、しっかりと受け止めなければなりません。その時蒔いた種は、芽吹く時をみて自然に芽吹き、苦を乗り越えれば綺麗な花を咲かせるのだと教えて頂いた様に思いました。お礼に「またお寺にも来てね。」と子供用のお経本を2つ、お渡しして和みのひと時を後にしました。絶え間ない苦労を乗り越えて得た、良き家族。そして、おばぁちゃんの見つけた幸せ。小さな花束に、少しだけご縁の恩恵を頂戴致しました。ご聴聞ありがとうございました。本日は、西身延妙本寺宗徒、平野泰淳がお話しさせて頂きました。