皆さまお早うございます。今日もお元気でお目ざめのことと存じます。みなさま今日もお元気でご活躍をお祈りしております。今朝は岡山市北区建部町富沢日蓮宗成就寺住職広本栄史が放送いたします。
 私の住む建部は、たけべの森に一万五千本の桜が咲いております。みなさまお誘い合わせ桜見物にお出かけ下さいませ。
 昔の句に「明日有りと思う心のあだ桜、夜半に嵐の吹かぬものかわ」実はこの句は親鸞上人が9才の時、得度される前夜に詠まれた歌だそうです。明日桜を見ようとしても、夜に嵐が来て、桜は散ってしまうかも知れない。桜の運命と同様、明日の事は私達人間には、分からないのですから、今得度させて下さい、と松若丸(親鸞の幼名)の心情を表したものと言われています。
 私達日蓮宗岡山県宗務所管内で、去る3月11日に岡山市市民会館において午後一時から四時迄県下から一七〇〇人が集まり「聞法のつどい」をいたしました。お題目修行と法華経のお話を聞く大会でした。ご指導いただいたのは静岡市清水海長寺住職菅野日彰先生でした。
 くしくもその日午後2時46分、東日本大地震大津波が発生し、マグニチュード9,0という世界最大級の地震に見舞われた。10数メートルという大津波がやってきた。想定外の福島第一原発事故で世界各国からも支援の申出が相次いでいる。当日のテレビ画面を正視することができなかった。がれきと、海水の混じり合った津波が、濁流のように、家を、畑を、道路を呑みこんでいく。走っている車に波がのしかかる。アア誰かが乗っているのだろう。お父さん、お母さん、お兄さん、お姉さん・・・だれかにつながる、かけがえのない命が呑まれていった。戦後日本が経験したことのない最悪の未曾有の災害だ。制御不能になった東京電力福島第一原子力発電所では、放射性物質が大量に放出した。懸命の作業が続けられているが難航している。原発の恐ろしさを思うと身がすくむ。愛する人や、仲間を捜し続ける人がいる。
 それにつけても震災発生から217時間9日ぶりに救出された80才の阿部寿美さんと孫の阿部任さん、奇跡でよかったと思う。津波に襲われた宮城県南三陸町の30才の母親が、がれきの中でうずくまり泣いていた。「なんにも悪いことしてないのに、どうして」あの日2才の娘を寝かしつけ、山向こうの町に買い物に出て地震に遭った。娘は翌日自宅があった場所から400メートルほど離れたがれきの下で見つかった。いつもの歯みがきのように口を大きく開けて指で泡をかきだしてあげた。震災3日後ガレキの中からアルバムが掘り出された。砂ぼこりが巻きあがる中、泥だらけのアルバムを胸に母親は泣き続けた。
 助かると疑わぬまま、黒い波にのまれた人も多い。重ね着し、貴重品や、非常食、アルバムなど携えた亡きがらは、それぞれの生きる意思を無言で訴えている。もう一秒、あと1メートルがそれを拒んだ。みちのく路が桜に染まる4月半ば、海に、空に、悲傷の問いかけがよろずと舞うことでしょう。東日本巨大地震で尊い命をなくされた方々のご冥福と、被災された皆さまに一日も早く心身ともに安らかな時を迎え、被災地の復興が速やかに達成されますようお祈りいたします。
 今回の地震と津波で親と離ればなれになった子ども、両親を失い「孤児」となった子の数も、行方不明者もあってはっきりしないとのこと。津波で行方不明になった両親を捜す高校2年生、宮城県南三陸町の村田龍生さん(17)は、町に残り、高校を卒業し、自動車整備士の資格をとって、弟の面倒を見ようと、あと一寸ここで頑張ると。そして弟村田天翔さん(15)は、母方の祖母のいる鳥取市へ行き、鳥取で高校へ入学するそうです。
 法華経如来寿量品第十六に
「諸々の善男子、如来の演ぶる所の経典は、皆衆生を度脱せんが為なり。或は己身を説き、或は他身を説き、或は己身を示し、或は他身を示し、或は己事を示し、或は他事を示す。諸の言説する所は皆実にして虚しからず。」というお経文でございます。このお経文の意味は「善き人たちよ、如来の説く教えはすべて衆生を済度するためなのです。そのために、ある時は仏の身(己身)について説くこともあり、ある時は仏以外の者(他身)について仏の働きを説くこともあります。また仏の身(己身)を世に示すこともあり、あるいは他の人たちの姿(他身)をして現れることもあるのです。さらにまた、直接的に仏の慈悲の働き(己事)を示すこともあれば他の事柄(他事)をとおして間接的に仏の慈悲を示すこともあります。これらは皆、衆生を教化するための方便の説教であって、うそいつわりはなく、すべての真実の教えなのです」というお経文でございます。
 これを六或示現と申しまし、六ツの形に示される仏さまの働きでございます。このように、仏さまは、いろいろな姿に身を変えて、お説き下さるのです。私達は普段、直接、人から親切にされたり、大事なことを教えてもらえば、「ああ有難い」と感謝いたします。反対に自分とかかわりのない人たちについては無関心になりがちですし、自分にとって不都合な人は敬遠してしまうものです。しかしながら、直接的にかかわりがなく何気なく見過ごしていたり、反発を感じていた人たちが、実は、自分にとってかけがえのない人であったり、何か深いことを教えてくれていることがよくあります。
 今回の日本最大の国難も、現代人が余りにもエゴイズム(利己主義)に陥った結果に対し「仏さまが、異体同心、心を一ツにして、国をあげて、皆助け合って生きていけという警告、はげましではなかろうかと、私は受けとめています。
 お寺はいらない、とか、葬式はしなくてよいとか、お墓はいらないとか、お骨は海に流すとか、このような人間の身勝手に対し、人々が生きていく、魂のやすらぎの根本を揺るがす言動に対し、仏さまが、考え直せよという信号を出されたのではなかろうかと私は感じています。
 日蓮さまが「夫れ以れば日蓮幼少の時より仏法を学び候いしが念願すらく、人の寿命は無情なり。出る息は入る息を待つ事なく風の前の露尚たとえにあらず、賢きもはかなきも老いたるも若きも定め無き習なり。されば先ず臨終の事を習うて後に他事を習うべし。」とおっしゃっています。
 今回の大地震、大津波によって生じた大災害、私が子供の時からよく教えられたのが、地震、雷、火事、親父という諺でした。毎日の生活の中で、いつ、どこで、どんなことがおこるかも知れない。今は交通事故が加わります。したがって毎日毎日を大事に大事に、皆助け合って生きて行けよと申されています。 わずかの時間で大勢の命を奪った大津波、職業も、地位も年齢も関係なく、家も、田畑も、車もさらわれた大自然のきびしさの中で、みんなが逞しく、希望を持って、これから、どのように生きるか工夫しながらまいりましょう。そして毎日喜びと感謝を味わいながら、一日も早く、心身ともに安らかな時を迎え、被災地の復興が速やかに達成されますようお祈りいたします。
 今朝は岡山市北区建部町富沢成就寺住職広本栄史が放送いたしました。