おはようございます。本日は、倉敷市天城にございます日蓮宗正福寺 菊岡妙光がお話させていただきます。

本日よりお盆の入りです。岡山では、八月にお盆がありますが、東京では七月にお盆があるようです。

皆さんはお盆がなぜ始まったかご存知ですか?
お釈迦様のお弟子さんに、目連さんという非常に優秀な方がおられました。
その目連さんの母親が亡くなり、目連さんは神通力という不思議な力を使って、あの世の母親の様子を見てみようと思いました。
「こんなに優秀な私の母親なのだからさぞかし素晴らしい所にいるだろう」
と思っていた目連さん。氷の下にいる魚を見るように、母親の様子を覗いてみました。
その瞬間、
「なっ、なぜなんだ。かっ、かあさんが、かあさんが!」
目連さんは息が止まってしまいそうになりました。頭はボールの様、首は糸のように細く、体は骨の一つ一つの形が分かるくらいやせて、お腹はぼっこりと出ており、なんとも変わり果てた母親の姿がそこにありました。
目連さんのお母さんは、供養された水も食べ物も口に入れられないという飢えと渇きに苦しむ世界、餓鬼道という所に堕ちていたのです。
「お、お、おしゃかさま〜!」
目連さんは大慌てでお釈迦様の下へ駆け込んでいきました。そして、自分が見た母親の苦しむ様子を伝え、お釈迦様に助けを求めました。
お釈迦様は、落ち着いたお声で
「目連よ。そなたの母親がなぜ餓鬼道に堕ち、苦しんでいるかわかるか?そなたの母親は、けちで欲張りで、何でもかんでもむやみに欲しがり、そして、人に物を施す事も惜しくて仕方がない、という心の持ち主だったからであるのだよ。」
「では、どうすれば、母親を苦しみから救う事ができるのでしょうか?」
「目連、七月十五日にたくさんの食べ物や飲み物をお供えし、修行しているお坊さんを呼んでお経を唱えてもらいなさい。そうすれば、母親を救う事が出来るであろう。」
そして、目連さんはお釈迦様の教えのとおりに供養したところ、母親を救いだすことができた、ということが盂蘭盆経というお釈迦様の説かれた教えにでています。それから七月十五日前後、岡山では月遅れ盆の八月十五日前後にお盆を行うようになったようです。

そういった理由で、お盆にご先祖様のご供養をする慣わしが始まったのですが、お盆にご供養も大切ですが、自身の心を見つめなおしてみませんか?目連さんのお母さんのように、自分の得する事ばかり考えて、他の人のことが目に入らないというようになっていないでしょうか?

妙法蓮華経の『化(け)城(じょう)喩品(ゆほん)第七』の中に
「願以(がんに)此(し)功徳(くどく) 普及於(ふぎゅうお) 我等(がとう)与(よ)衆生(しゅじょう) 皆(かい)共成(ぐじょう)仏道(ぶつどう)」
「願わくは、この功徳をもって あまねく一切に及ぼし 我らと衆生と 皆共に仏道を成ぜん」
というお言葉があります。

人々の心を穏やかで、安らかにし悩みを取り除いてくださる永遠の命を持っておられる御釈迦様、いわゆる仏様。この仏様の教えによって、自分だけでなく、皆がこのように穏やかで、安らかで、悩みのない心持になりますように、という願いがこもったお経です。「自分だけではなく皆が」という心持は、まさしく仏さまのお心持ちと自分の心持が重なり合っているのです。私達もこのような心持ちを持っていたいものです。

この時期、スイカを食べて喉の渇きを癒しますが、たとえば、スイカが仏様の教えとします。スイカを自分ひとりで食べて、自分だけが喉の渇きをとるのではなく、他の人たちにもスイカを分けて差し上げて、一緒に喉の渇きをとりましょう、ということです。喉の渇きをとるという事が、心が穏やかで、安らかで、悩みがなくなるという事です。

さて、私の奈良の実家も日蓮宗のお寺ですが、毎月二回、四十五名前後の檀信徒さんが集まってお参りをいたします。
檀家さんの中に、今谷さんという女性がおられまして、お年は申年生まれといっておられましたから・・・六十七歳くらいでしょうか?この方は小さいながらも妹さんと二人でお弁当屋さんをきりもりされておられます。
お店のほうも、毎日お忙しいようですが、お仕事の合間に毎日片道三十分くらいかけて、三百六十五日欠かさずお寺にお参りにおこしになられます。
そして、毎月二回のお参りの時には、いつも、五十個のお弁当や散らし寿司をご自分で作られてお供えされます。自分のお店で販売するお弁当の他に、お供えのお弁当も作られるのです。毎朝2時に起きて仕込みを始められるそうですが・・・。
そして、その他に、袋のお菓子五十袋、そして、スイカやマンゴーなど、軽トラックの荷台にお供え物をたくさん積んでお参りに来られます。
ある時、わたし、心配になりまして今谷さんにお伺いしたんです。
「大丈夫なんですか?毎回毎回こんなにもお供えされて。お弁当の材料を市場で仕入れるお金が足りなくなっちゃわないのですか?」
すると、今谷さんは、堂々とした笑顔で右手を左右に振りながら、
「あー、大丈夫、大丈夫。仏さんにお供えさせてもらいたいんです。不思議な事に、仏さんにお供えすればしただけね、お店の売り上げがあがるんですよ。逆にしないほうが、お弁当の注文が減って困るんです。仏さんが上手い事まわしてくれはるから。」
今谷さんがされたお供えは、お参りが終わった後、お参りにこられている方に、お配りいたします。
仏様や他人様に自分の身を削って稼いだお金を使って何かするっていう事はなかなか難しい事です。しかし、そうすることで、回りまわって結局は自分の為になっている、という事を今谷さんは実感されておられます。

なかなか、他人様の為に何かさせていただくという事は、思いやり、勇気、行動力、色々と奮起しないとなかなか難しいですが、自分のご先祖様、亡くなった檀那さん、奥さん、お子さんには、自然と出来るものです。これが、出発点ですね。そして、その気持ちを他人様に向けることが出来れば、こっちのものです。この気持ちこそが仏さまがお持ちになられておられるお心と同じなのです。つまり、自分自身が仏さまになり始めた第一歩です。

「そんな事言ったって、毎日の生活が精一杯で、他人さんのことまで考えてられないわよ。」
今のご時勢、自分のことは自分で守る、人のことなんて考えてられないわ。」
と思っておられる方がおられるかもしれませんね。
大丈夫です。日蓮大聖人が
目連尊者は自身が法華経を信じ、南無妙法蓮華経と唱えて自ら仏になり、この時、自分だけでなく父母も仏になる事が出来、そして、数知れないご先祖様だけでなく子や孫までもが仏になれるとおっしゃられていますので、私たちも、法華経を信じて、南無妙法蓮華経とお唱えしましょう。そうすれば、自分だけでなく、自分の体と命を授けてくれた父母、そして、計り知れないご先祖様も仏になれるのです。つまり、永遠の命を持っておられるお釈迦様、いわゆる仏様のお心に重なり合うことができるのです。

お盆は十六日までですがお盆に限らず、常日頃から自分だけの損得を考えず、自分以外の人の喜びや幸せを少しでも考え、仏さまの心持を持つ事が、ご先祖様へのご供養になります。皆様に日々のご精進をお勧めし、本日の法話を終わらせていただきます。   合掌