RSKラジオをお聴きの皆様、おはようございます。今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職 堀江宏文が放送いたします。
猛暑の続いた真夏も9月を迎え、ようやく涼風の訪れとともに、ふと秋の気配に気付くようになりました。秋を象徴する彼岸花も道の辺を飾ってくれています。「子どもの頃、彼岸花を見ると足がすくむほど怖かった」「何だか不気味」と言う人もいれば、「あの妖艶さが好き」「彼岸花を見ると癒される」という人もおられることでしょう。受ける印象は様々でしょうが、これまで暑かった夏の季節に終わりを感じ、心に爽やかな秋を感じる事が出来ます。彼岸花の別名“曼珠沙華”は、法華経中の梵語に由来し、“白く柔らかな天上の花”という意味を持ち、この花を見る者は悪業を離れるとされます。
秋を象徴する花にコスモスを思い浮かべる方も多いと思います。ピンク、紫、白のコスモスが満開を迎えるのももう少しです。
赤磐市周匝では例年、10月の第一日曜日に「コスモス・案山子祭り」が、開催されます。周匝を流れる吉井川の堤防沿いに、約2,3キロにわたって、6万株(数百万本)のコスモスが植えられ、憩いの場となります。またコスモスに加え、その年の世相を反映したものを中心に、ユニークな案山子が約50体近く150mにわたって並びます。今年はどんな案山子が集まるかとても楽しみです。お祭り当日には、“芋煮汁”が振る舞われ、川魚の塩焼き、うどん、焼きそば、地元の特産品、木工品など、約20店に及ぶテントが並びます。舞台や河原でも各種のイベントが行われ、ユニークな秋の風物詩を催しています。今年で15年目。行政からの支援はなく、全てが地元区民のボランティア。老人会や女性グループの協力、学校や保育園も参加して地域全体で盛り上げています。
コスモスはキク科の一年草で原産はメキシコです。今ではどこでも咲いている感じですが、日本には明治20年ごろ渡来してきたそうで、ほんの120年位しか経っていないことになります。西洋名では“調和”“秩序”と言い、美しさを意味するギリシャ語に由来します。宇宙のことを“Cosmos”と呼ぶのも同じ語源で、星々や花びらが整然と並ぶ様子の美しさを称えたことに語源の由来があるそうです。殺伐とした現代の世相のなかにあって、コスモスの花を真ん中に人々の心が結ばれていることに、ホットする周匝秋のお祭りです。10月7日に是非お越し頂き、皆様と一緒に楽しみたいと思います。
さて皆様は「楽しみを待つだけで免疫力が高まる」「楽しくて笑えることがあると思うだけでストレスが軽減されて免疫力が高められる」という研究成果があることをご存知でしょうか。
これは米カリフォルニア大学の研究チームがまとめたもので、「お笑いのビデオ」を見ただけで、ストレスのもとと言われるコルチゾールというホルモンが減少し、逆に免疫力を高めるとされる成長ホルモンが上昇したという研究報告です。また米メリーランド大学の研究チームは「冗談をよく言う人は心筋梗塞になりにくい」という研究結果を発表しています。古来、“笑う門には福来る”と言われてきたことが、科学的に証明されたわけですね。しかしこうした研究結果を知ると、多くの人は笑いを求め、しかも与えてもらいたいと願うものです。
ところが人生いつでも、どこでも笑える楽しみが待っているわけではありません。順調な日は少なく、逆風に立ち向かう厳しい日の方が多いかもしれません。上り坂、下り坂もあれば“まさか”という坂が突然やって来ることもあります。しかも単なる笑いだけの場合、いっときのホルモン分泌に過ぎないのです。大切なのは、ほほ笑みを持ち続けること。そのためには自分の心を浄化する教えが必要です。
仏教の根本を説き示したものに、七仏通戒偈という偈文があります。七仏とは毘婆戸仏、戸棄仏、毘舎浮仏、拘留孫仏、拘那含牟尼仏、迦葉仏という過去の六仏に、私たちにとって最も親しみ深い釈迦牟尼仏すなわちお釈迦さまを加えた歴代の七人の佛さまのことです。お釈迦さまは経典のいたるところで、仏教の真理すなわち法は自分が世の中に出てはじめてつくりあげたものではなく、自分はそれを悟り開き示したのであり、真理は自分が世に出と出でざるとに関わらず、変わることのないものとして存在したのであると説かれています。お釈迦さまは仏教の真理は限りない過去から常に存在したものであることを解り易く示すために、七佛通戒偈を説かれました。
その教えとは「諸の悪いことを作す莫れ、衆くの善いことを奉行せよ、自らその心を浄めるべきである、これが諸佛のおしえである」ということです。この偈文が七人の仏さまの間で代々伝えられた共通の戒めであるということは、私たちにとっても、戒めでなければならないものです。
それは悪いことを止め善いことを行い、心を浄めるということですから、大変に解り易く、誰にでも実行できそうな教えです。中国の唐代の有名な詩人、白楽天が、この偈文を聴いて、「仏教とは深く広い教えであると聞いていたが、いやに簡単で素朴なものよ、たいしたものではない」と笑ったといいます。ところが「三才の童子でも、この偈を口ずさむことは出来るが、百歳の翁でも、これを実行するのは困難である」と諭されて、大いに反省し、仏教にたいする信仰をさらに深めたということです。詩聖といわれた白楽天でさえも、七佛通戒偈を一笑に付してしまったことを、私たちは念頭において、わかりやすさに目をくらまされて、馬鹿馬鹿しいなどと思うことなく、その真意をたしかめ、実行することの厳しさを、深く心に刻みつけるべきであります。ここに信仰生活の秘訣があるのです。
世間では、「忙しくて信仰どころではない」とか「時間とお金が出来たら信仰しよう」という人がいます。では、信仰と生活とは関係がないのかと申しますと、そうではありません。日蓮聖人は「仏法は体のごとし、世間はかげのごとし、体曲がれば影ななめなり。」(『緒経与法華経難易事』)とお教えです。間違った教えでは、真の救いと安らぎを得ることは出来ず、世の中は苦しみに満ちた闇となります。信仰とは心、心が曲がっていれば行いもまがるのです。信仰生活のなかにこそ日常の生活があると知るべきです。
しかもすべての仏さまの本である久遠本仏のお釈迦さまと、そのすべての教えと行いの本である法華経の教えによって、本当の幸せがはぐくまれ、ほほえみある心が輝き続けることを忘れてはなりません。
今朝は、赤磐市周匝、日蓮宗蓮現寺住職 堀江宏文が放送いたしました。