ラジオをお聞きの皆様、おはようございます。本日は岡山市北区、日蓮宗日應寺で副住職を務めております、山本応也がお話をさせて頂きます。
私は昨年五月に全国日蓮宗青年会、青少年教化担当委員長を仰せつかりました。青少年教化担当委員会の主な活動の一つとして、東日本大震災被災地こども支援があります。
一昨年の第1回に引き続き、昨年は十二月二十六日から二十八日までの2泊3日、「集まれ東北のこどもたちイン横浜」と題し、神奈川県横浜市の妙法寺を会場に、岩手県内被災地の小学四年生から高校一年生までの震災で親御さんを亡くされた子どもたち、十八名を招待しました。
一昨年の震災直後から、全国日蓮宗青年会はネットワークを通じ、募金活動、がれき撤去などのボランティア活動、物資支援活動など様々な被災地支援を行って参りました。活動を続けている中で、地震、津波によってたくさんの遺児、孤児といわれる親御さんを亡くされた子どもたちの存在が明るみに出て参りました。
そこで、どうにか子どもたちの力になれないかと、まず東北被災地の各自治体に問い合わせを行ったところ、
「温かいご支援を本当にありがとうございます。大変有り難いお話ではありますが、自治体としては一宗教団体のお話に賛同する事が出来ません、申し訳ありませんがお引き取り下さい・・・」
と、子どもたちに案内する事さえ出来ない状況が続きました。覚悟していた、とは言え、無力感が次第に皆の心を支配し始めていました。
しかしここで諦めず、粘り腰の活動を行っている時、岩手県里親会、ならびに日本こども支援協会とのご縁がうまれ、なんとか子どもたちに声をかけることができ、開催に至りました。
そして一昨年のこの活動が実を結び、昨年からは岩手県の支援事業としての認可が、この企画におりました。一宗教団体の企画に都道府県クラスの自治体から認可がおりるケースはほぼありません。この認可の裏には岩手県の震災支援、子ども支援の現状が大きく影響しておりました。
この震災で皆様ご存知のとおり、岩手県のみならず、宮城県、福島県でも大きな被害がでました。子ども支援に関しては、福島県は原子力発電所の放射能漏れ事故により、全国の自治体から今も支援が多く続けられており、宮城県も県内自治体、大手企業からの支援が続いています。そんな中、岩手県に入ると急に子ども支援の手が届かなくなります。皆様は岩手県だけで、震災によって親御さんを亡くされた子どもたちがどのくらいいるかご存知でしょうか?
片方の親を亡くされた遺児と言われる子どもが481名、両親を亡くされた孤児と言われる子どもが94名もいます。子どもたちは家を失い、家族を失い、友達を失い、仮設住宅での辛い避難生活が続いています。その上、震災前のように親に甘える事も出来ず、親も子どもを甘やかすことが出来ない生活は、想像以上のストレスを被災者に与え続けています。引きこもり、家庭内暴力、自殺、どれをとってもその数は増加していると聞きます。2泊3日の間だけでも現実から離れ気兼ねなく楽しめる企画が「集まれ東北のこどもたちイン横浜」です。
初日、上野駅で新幹線から降りて来た子どもたちの表情は、一昨年に比べると見違えるように明るく、スタッフの中に安堵の空気が広がりました。今回は、一昨年車窓から見るだけだった東京スカイツリーに上ったり、横浜でオリジナルカップ麺の製造体験、中華街で飲茶の食べ放題。テレビに良く出ているマジシャンをお寺に呼んでのサプライズマジックショー、と盛りだくさんの内容でした。子どもたちには笑顔があふれ、スタッフとも楽しく過ごしました。ただ、ここにいる子どもたちは身近な人を亡くした辛い体験をしています。事前に会議に会議を重ね、児童心理学専門家の意見を聞き、スタッフで参加している大人も、とにかく子どもたちと一緒に時間を共有する事だけに集中しました。笑顔が増えた今回ではありましたが、一方子どもたちの気になる行動も多々見受けられたのも現実です。
大人の背中に必要以上にくっついてきたり、手を握ったりする、父親を亡くした小学6年生の女の子。
集合時間はわかっているのに、必ず5分遅れて注目を集めたり、普通に話をしている時も、必ず相手との距離を決めている、母親を亡くした中学2年生の男の子。
高校1年生の女の子は、テレビから流れた震災の映像を偶然見て発作を起こしてしまい、その日の晩は、そんな時その子が一番落ち着く、と言っていた、トイレの個室で女性スタッフと眠りにつきました。また一昨年においては、行くところ行くところで携帯電話を開き、待ち受け画面に写った、津波で亡くなった弟の写真に観光地を見せてあげる子、家族連れをじっと見続ける子を同じ参加者の子どもがなぐさめる場面もありました。事前の会議で子どもたちとの接し方、スケジュールや食事内容までも時間をかけて話し合いましたが、ふたを開けてみると「ご飯よりハンバーガーやピザ、フライドチキンが食べたい」と言い、観光地の自由時間には必ずどこででもゲームセンターを探す、といった次第。
よくよく考えてみると、これも我慢を強いられている被災地の子どもならではの行動だったのです。この時ばかりは「今日は我慢しなさい」と面と向かって言う事が出来ませんでした。
約1ヶ月後はやいもので、東日本大震災で亡くなられた方々の三回忌法要がやって参ります。私は、震災以降お檀家さんが行う追善供養、法事の席の最後に、そのおうちのご家族親族、その席に集まった方々と一緒に、東日本大震災で亡くなられた人たちへのご供養、ならびに被災地の早期復興のご祈念を続けております。このラジオをお聞きの地域では既に東日本大震災にたいしての記憶の風化が始まっています。心の中では気にはしていても、これといった実行に移せないでいる、が正しい言葉かもしれません。遠く離れたこの地で、皆で手を合わせご冥福をお祈りするだけでもご供養にちがいありません。私は、仏様から私たちが戴く功徳は、「自分さえ幸せだったらそれでいいや、という気持ちを徐々に消してくださる薬」だとお檀家さんにはお話させて頂いています。この世で仏の心を持ち、この世を仏の世界にしていくためにはどうすれば良いのかをお釈迦様は私たちを思い、考え続けておられます。
遠く離れているから、知っている人が被災地にいないから、といってあの震災は自分には関係ないと思わず、まだまだ辛い思いをしている子どもたちが被災地にはたくさんいる事を心の片隅に覚えておいて頂きたく思います。亡くなった方々のご冥福をお祈りする事ももちろん大事です。それ以上に慈しみの心をもって、被災地の復興、被災者の心の復興をお祈り下さい。そしてこのラジオを聞いて頂いている皆様は、この被災地の現状を出来る限り周りの人たちへお伝え下さい。
これこそが仏様から頂いた功徳が実を結ぶ瞬間となります。