仏教アワーをお聞きの皆様、おはようございます。今朝は岡山市北区上中野にあります日蓮宗正福寺住職稲垣教真がお話させていただきます。
今年も早いもので残すところ3週間を切りましたが、今年一年、様々な出来事がありました。中でも明るいニュースで印象的だったのはユネスコの世界文化遺産に富士山が登録されたことです。正式登録名は「富士山―信仰の対象と芸術の源泉」といいます。富士山の美しく雄大なたたずまいが日本の芸術と文化に大きな影響を与え、また、古来より富士山が信仰の対象として、多くの人々の心のよりどころにもなってきました。そのため早くから世界遺産への登録が待たれていましたが、このたび、自然保全やゴミ問題などの懸念材料が関係者の努力によって克服され、ようやく長年の悲願が実りました。これは私たちにとっても大きな希望と元気を与えてくれる出来事となりました。
今年の6月と9月、私は富士山からほぼ真西に位置する七面山へ2回にわたり登ってまいりました。この七面山とは日蓮宗総本山がある山梨県身延山の西に位置し、標高は1982メートルあります。また、千葉県上総国一宮・玉前神社から富士山を抜け、出雲大社を結ぶ東西の線上にあり、南アルプス連峰に属する山岳信仰の対象として古くから信仰を集めてきた霊峰でもあります。漢字で書きますと「七」は数字の「7」、「面」は「平面、表面」の「面」、そして「山」と書きます。また、七面山の標高約1700メートル付近には七面大明神を祀る敬慎院というお寺があり、随身門の遙拝所からは富士山とご来光を望むことが出来ます。ちょうど両彼岸のお中日には富士山の火口部分から太陽が上る「ダイアモンド富士」が見られるパワースポットとしても知られ、多くの参拝者、登山者で絶えません。
七面山敬慎院にお祀りされている七面大明神は鎌倉時代、日蓮聖人が身延のご草庵近くで弟子や信徒に説法をしていたところに、美しい女性に姿を変え現れました。女性は手を合わせ熱心に日蓮聖人の説法を聞いていましたが、姿を龍に変え日蓮聖人に身延山から西、裏鬼門の方角を守り、人々の安穏と願いを叶える法華経の守護神としての誓いを立てられ七面山に飛び帰ったと伝えられています。
さて、私個人としては約20年ぶりの久々のお参りとなり、檀信徒の皆様を、無事にお連れすることが出来るかどうか、少々不安もありました。 その不安を取り除くために、9月の参拝を前に、6月に下見を兼ねて一人でお参りさせていただきました。しかしこの時は梅雨の真只中、雨に見舞われ、サイズがあわない靴のせいで足を痛め、体力的にも厳しいものになってしまいました。もちろん富士山やご来光も分厚い雲に覆われ見ることはできず、再挑戦の意味を含め、9月のお参りへの期待が膨らみました。
そしていよいよ9月28日、檀信徒10名と共に七面山で一泊のお参りに、早朝岡山を出発しました。幸い天候にも恵まれ暑くもなく寒くもないちょうど良い気候で、新幹線と特急電車の車窓からは度々富士山が現れ私たちを迎えてくれました。そして昼前に下部温泉駅に到着。チャーターしていたバスに乗り換え、一路登山口に向かいました。登山を前にすぐ近くに流れる「白糸の滝」に行きました。こちらには徳川家康の側室で紀伊家の祖頼宣、水戸家の祖頼房の生母である養珠院お萬の方の銅像があります。
お萬の方は熱烈な法華経の信仰者でも知られ、もともと女人禁制であった七面山ですが、この白糸の滝で7日間身を清められ、ついに女性として初めて登り、参拝を果たされました。まずはここで参加者一行の安全と無事を祈ってお参りしました。
そして登山開始です。目標の敬慎院までは50丁あり、一丁ごとに石の灯籠がすえられ、一丁一丁を確かめるようにして参道を登りました。参加者は70代の方が中心で、七面山へのお参りは初めての方ばかりで、それぞれのペースに配慮しつつ4つの坊で休憩を取りながら登りました。ところが、樹木が生い茂り眺望もほとんど無く、まるで参道が果てしなく続くかのようで、精神的肉体的にも困難な場面が続きました。しかし、幸い参加者の3名ほどは日頃から登山経験豊富な方もいて、強力なサポーターとなり、励まし手を取り合いながら参加者全員の登山に力を貸して下さいました。そしてあたりの気温が下がり、薄暗くなり始めた頃、参加者全員が何とか無事に敬慎院に到着することが出来ました。時間にして4時間から5時間かかったでしょうか。敬慎院の山門である随身門まで行ったとき、ふと後ろを振り返ると、なんと暗くなり始めた遙か彼方に富士山がはっきりと見ることができました。まさにこの瞬間、長くつらかった思いはどこかに吹っ飛び、安堵の思いで満たされました。
宿泊させていただく参籠殿向かうと、山務員のお上人方が温かくお出迎え下さいました。各部屋に案内され、用意されていた夕食をいただき夕勤に参列しました。本殿には多くの泊まり込みの参拝者がいて、共々、七面大明神に無事、参拝できたことを感謝し、またそれぞれの願いをこめて一心に祈りを捧げました。
そして2日目、5時に起床。9月とはいえ気温も一ケタになっていたため、防寒具を着込み、富士山のご来光を拝するため随身門前の遙拝所へ向かいました。日の出にはまだ30分くらいありましたが、すでに大勢の参拝者が祈りを捧げながらご来光を待っています。目の前には富士山と雲海の大パノラマが広がり一同、胸が高鳴ります。
そして5時55分、まさに待ちに待った瞬間、富士山の後ろから黄金の後光が差し始め、あたりに光の矢を放ちながら、美しく清らかなご来光が広がりました。一同その瞬間手を合わせ、「南無妙法蓮華経、南無妙法蓮華経」と繰り返しお題目を唱えました。日蓮聖人は永遠の命と救いを説かれた釈尊がまします娑婆世界、つまり今、私たちが住むこの現実世界こそ御仏の世界であると説かれましたが、まさに私たちはその浄土の出現を目の当たりにしたかのような、この上ない喜びと感動で胸がいっぱいとなりました。
いつまでも去りがたい思いをいだきつつ参籠殿に戻り、朝食をいただき身支度を調え下山に向け出発しました。
途中、奥の院への参拝を経て、下山は上りとはルートを変え、裏参道を下ることにしました。裏参道は表参道に比べ距離が長く、利用する人も少ない上、休憩する坊も少ないので不安もありましたが、また違った雰囲気を楽しみながら下って行きました。しかし、参加者は段々と疲れが見え始め、長い距離が足腰に重い負担となり、登りの時以上に何度となく困難な場面が続きました。それでも互いに助け合い励まし合いながら、何とか無事下りることができました。厳しい道のりを乗り越えた充実感と七面大明神の大きな御陰をいただいて参加者一同の安堵した晴れやかな表情が印象的でした。
日蓮聖人が残されたお手紙「妙一尼御前御消息」の中に「法華経を信ずる人は冬のごとし。冬は必ず春となる。いまだ昔より聞かず見ず、冬を秋とかえれる事を。いまだ聞かず法華経を信ずる人の凡夫となる事を」という一節があります。これは夫を亡くした悲しみの中、幼子と年老いた母と暮らす妙一尼に宛てられたものです。「冬のごとし」とは、私たち誰もが生涯の中で抱える様々な悩みや苦しみともいえるでしょう。しかし法華経を信仰することで季節が冬から春に巡るように、必ず良い方向へと御仏が導いて下さることを説かれているのです。
七面山へのお参りではそのことを理屈ではなく、山の霊気、自然の美しさ、富士山から射す太陽の光、そして鳥のさえずりから水の音にいたるまで、まさに五感を通して実感することができ、心の中の大きな宝となりました。
どうか皆様もそれぞれの菩提寺にて行われる信行活動や、本山や霊跡、霊場への参拝などに参加されてはいかがでしょうか。御仏の心に触れ、信心を深め体験的に修行をする中にこそ、心の安心、仏になる道が開かれていることに気付くことが出来ると思います。
今朝は、岡山市北区上中野正福寺住職、稲垣教真がお話しさせていただきました。ありがとうございました。 南無妙法蓮華経