皆さん、おはようございます。七月十三日 土曜日
RSKラジオ法話、仏教アワーのお時間です。
本日は、倉敷市天城 正福寺 菊岡妙光がお送りいたします。
「トン、バン、バン、バン、バン、バン。トン、バン、バン、バン、バン、バン。」
「なむみょうほうれんげーきょう、南無妙法蓮華―経・・・。」
「じゃっ、じゃっ、じゃっ、じゃっ、ザク、ザク、ザク、ザク。」
「なむみょうほうれんげーきょう・・・・」
毎年、五月二十七日から六月三十日までの三十五日間、日蓮宗総本山久遠寺がございます身延のお山に日蓮宗僧侶を目指す女性達が唱える、お題目「南無妙法蓮華経」の声とうちわ太鼓の音、そして、砂利を踏みしめる下駄の音が響き渡ります。
「南無で左足が前ですよ〜!」
「妙法蓮華―経・・・。右足、左足、右、左、右!」
「森山法師、足がちがーうッ!」
「南無妙法蓮華―経」
「声がちいさーい!もっと大きな声でお題目唱えて〜!」
「南無妙法蓮華―経」
日本各地から今年は二十名の女性が身延にございます信行道場で、テレビもラジオも携帯電話も、家族と連絡することも、そして、魚もお肉も食べず、頭をかみそりできれいにそって、厳しい修行に精進されました。信行道場の先生は、上から主任、副主任、主事、書記という役職がございます。私は、今年、一番下の書記として務めさせていただきました。
修行する彼女たちを、道場生といいますが、今年の道場生は二十三歳から七十歳までのお寺の奥さん、娘さん、信者さんや檀家さんで僧侶を目指す人が信行道場に入ってこられました。
男性の道場生のように、どこかのお寺さんで修行してから道場に入るという事がありませんから、お題目を唱え、お題目に足並みをそろえて、本山まで続く結構きつい上り坂を二十分程歩くと
「ナム ミョウ ハァ〜 ハァ〜 ハァ〜 ハァ〜」
「なむ はぁ〜 はぁ〜 はぁ〜 げ〜 きょう〜・・・」
とお題目を唱える息が続きません。
そして、足並みがくるって前の人の左足が後ろに来ている時に、自分の左足が前に出てしまうと
「いたいっ!」
「あっ、ごめんなさい!」
下駄で前の人のかかとを蹴ってしまいケガをしてしまう事もあります。
列の先頭と真ん中ぐらいに直径五十センチほどのうちわ太鼓を打つ道場生が歩きます。
先頭の道場生は一番先頭を歩かれている主任先生の足の運びや速さに合わせて太鼓を打たなければなりません。これが、簡単そうでとても難しいのです。
修行に入る前、道場生はごく一般的で普通の生活をしておられます。
私たちもそうですが、普段、歩くときは自分のスピード、歩幅で歩きます。
「はい、右足、左足。右、左、右、左」
なんて考えながら歩いたりはいたしません。
誰かと一緒に歩いていても、スピードは自然に合わせますが、意識して横に歩いている人と足並みや息をそろえて歩くことはめったにありません。
その癖が体に浸み込んでいますから、主任先生の足の運び、歩幅、スピード、お題目の声に合わせて団扇太鼓を打つことはとても大変な事なのです。
・・・という事は、私たちは普段、どれ程自分の好きなように、わがまま、自分勝手に歩いているかという事なのです。
修行をして、知らぬ間に身についてしまっているわがままで、自分勝手な心を少しずつ取り除いていかなければなりません。
わがままで、自分勝手な心を素直に、柔らかく、そして、自分の事は二の次にして、仏様だけにまっすぐ向かう心持ちにしなければいけません。
なかなか主任先生の歩くスピード、足の運びと道場生の太鼓の音が合わないので、主任先生の足が今にでもからみあってこけてしまわれそうです。
「ちょっと、太鼓貸してちょーだい!」
私は、道場生の太鼓を受け取り、どのようにすれば主任先生の足に合う太鼓が打てるのか、そのコツを道場生に伝えるためにまずは自分で打ってみることにしました。
コツその一。
自分の足の歩幅とスピードを主任先生の歩幅とスピードに合わせて歩く。
コツその二。
お題目を大きな声で唱える。そのお題目に合わせて団扇太鼓を力強く打つ。
そして、一番重要なコツというか事は
主任先生のお心、お気持ちに寄り添う、つまり、主任先生のお気持ちになってみることです。
一層きつい上り坂ならば先生の歩みはゆっくりになられるし、階段になると主任先生は後ろに続く道場生がつまずかないようにスピードを落として歩かれます。平坦地は軽やかにお題目を唱えて歩いて行かれます。主任先生と自分の心をひとつのものにすることが大切なのです。
これには、先程お話しいたしました、心を柔らかに、素直に、自分の事は二の次にする気持ちが大切なのです。
これは、仏さまに向かう私たちの心そのものの在り方です。
わがままで、自分勝手な心持ちでは仏さまの心と一つになることは出来ません。
自分のわがままな心持を取り除き、仏様の心と一つになることが出来なければ、仏様の教えを心に浸みこませることが出来ません。
日蓮大聖人様は持妙法華問答抄に
「我慢(がまん)我慢(がまん)偏執(へんしゅう)偏執(へんしゅう)は後生の紲(ほだし)紲(ほだし)なり、ああ恥づべし恥づべし、恐るべし恐るべし」
とおっしゃられています。
我慢偏執つまり、わがままで自分勝手な事は、今度生まれ変わった時の妨げとなってしまう。自分も仏になりたいと思うならば、法華経を信じて、お題目をお唱えしなさいよ。とおっしゃられています。
お題目を唱えて、わがままで自分勝手な心をそぎ落とし、素直で柔らかな心持ちで仏様を思い、仏様の心に寄り添う事によって、自分の心が仏様のみこころに重なり合うという事を今朝はお伝えいたしまして、仏教アワーのお時間を終わらせていただきたいと思います。
倉敷市 正福寺 菊岡妙光がお届けいたしました。
合掌