RSKラジオ仏教アワーをお聞きの皆様。おはようございます。
1月10日、土曜日。
今朝は、和気町にあります日蓮宗實成寺副住職、若佐臣がお送りいたします。
皆さんは、どんな朝をお迎えでしょうか?
まだまだお正月気分が抜けずに、仕事がちょっとつらいな。という方もいらっしゃるのではないでしょうか。年末年始に帰省していた子や孫がいなくなって少し寂しいな。という方もいらっしゃるかもしれません。
私のような、寺の人間にとって、正月気分というのは今頃からでして、12月は近隣の檀家さんのお家をお経参りし、除夜の鐘、年が明けると、新年のお参り、各地域でのお日待ちが続いていきます。
寺に生まれ育ったものですから、子どもの頃からずっとこの生活。友人達が集まるのを横目で見ながら、家の手伝いをさせられていたものです。
子どもといえば、我が家には3歳になる息子がいます。
今年からは幼稚園に入学する予定でして、ひらがなくらいは少し覚えさせなければ。と思い、ひらがなを勉強する絵本で勉強をさせています。
「あ」には、「あたま」ですとか「あし」と書かれています。
私は、ふと考えました。
子どもの絵本の「あ」は「あたま」や「あし」ですが、仏教の絵本があったら「あ」は何だろうな?と。
毎週お聞きになっているリスナーの方、どうでしょうか?
私は、「「あ」はありがたい。の「あ」だな」と思います。
逆に、仏教の信仰のない方の「あ」は「あたりまえの「あ」」だとも思いました。
ありがたい、と、あたりまえ。
同じ「あ」でも全く意味が違います。
「ありがたい」は、ここに、今、あることがむずかしい。という仏様の言葉です。
難しく言えば、空とか無我という言葉になるかもしれません。
ただ、もっと単純に考えましょう。
頭の中で、丸い、穴の空いたドーナツ、向こうが見えるドーナツをイメージしてみてください。
そのドーナツの穴が、あなた。なんです。洒落じゃないですよ。
穴はあなた。
じゃあ、ドーナツはなんでしょう。
ドーナツは、両親だったり、子どもだったり、友達だったり、学校の先生だったり、時代背景だったり、生まれた場所であったりするんです。
では頭の中に思い描いた、丸いドーナツをパクっと一口食べてください。
どうでしょう、まだ穴はありますか?
では、もう一口。食べてみると、穴と呼べるものはありません。
ドーナツは残っていても、穴は無くなるんです。
あなたをつくるものが一つでも欠けていたら、、と考えてください。
もし戦争が続いていたら、両親が出会わなかったら、この街に引っ越さなかったら、今、ここで、ラジオを聴いているあなたはいないんです。
これが、「ありがたい」ということ、無我とか空とかいう、お釈迦様の教えの根本のことです。
では、逆の「あたりまえ」はどうでしょう。
辞書で引くと「普通のこと、ありふれていること」と出てきます。
自分自身がここにいることはあたりまえ。
屋根のある家に住んであたりまえ。
三度の飯が食えてあたりまえ。
これが仏教と真逆の考えであり、今、流行している「あたりまえ」という考えです。
「ありがたい」と心から思える日々を送れば、毎日が輝いて見えます。
たとえ病院にいたとしても、食事が運ばれてくるだけで、ありがたい。
ボタンを押せば、駆けつけてくれたり、お世話をしてくれる人がいる。
こんなありがたいことはありません。
自然と笑顔になるものです。
「あたりまえ」と考える日々を送ることで、世の中は暗く見えます。
病院の食事は美味しくない。お店の料理も美味しいのがあたりまえ。
サービスが良くてあたりまえ。俺の言うことがあたりまえ。
こんな考え方では、不満ばかりで、あなたも人も、誰も笑顔にはなりませんよね。
人は放っておくと、どんどん「ありがたい」という気持ちが「あたりまえ」になっていきます。
恥ずかしながら、偉そうに言っている、私もそうなんです。
飽食の時代に育ったものですから、食事を旨い、不味いと思うことはあっても、ありがたいと思うことはなかったんですね。
しかし、厳しい修行中、出される食事は、一日に2度のわずかな粥と味噌汁。
ただ、これが心底、ありがたかったし、待ち遠しかった。
修行中、この食への感謝の気持ちを忘れないようにしよう。と誓う訳ですが、、、。
修行が終わって、家に戻り、しばらくすると
「今朝の味噌汁は、少ししょっぱいな」などと偉そうに、妻に文句を言うようになるんですね。
まだまだ、未熟者。修行が足りないですね。
精進いたします。
人は、放っておくと、私のように、悪い方、悪い方へと流れていきます。
犬は教えられなくても犬になれますが、人は教えられなければ、人にはなれません。
その大切な教えは、仏教です。
仏様の教えは、膨大で、わかりにくい。
すべてを読んで、理解し、実践することは、日々、生活をしている私たちには、かなり難しいものがあります。
日蓮聖人は、私たちに代わって、すべての経典を読まれ、その中でも、法華経が一番大切なんだ。と言われました。
また、その題目「南無妙法蓮華経」を唱えることが、仏様の教えを理解し、実践していることと同じことなのだ。と言っています。
お題目を日々唱え、正しい心、正しい言葉、正しい行動が実践出来るように、ありがたい毎日をイキイキ生きましょう!
本日は、和気町、實成寺副住職 若佐臣がお話させていただきました。
まもなく、夜が明け、日が昇ります。
皆様にとって、良い一日になりますように。
南無妙法蓮華経。