RSKラジオ・仏教アワーをお聴きの皆様、おはようございます。
本日は岡山市北区清輝橋にあります・妙福寺住職 芥田健作がお話をさせて頂きます。今回初めてこのマイクの前でお話をさせて頂きます。
不慣れな所があるかもしれませんが、どうぞ宜しくお願い致します。
さて、新しい年平成28年を迎え、一週間ほどが過ぎましたが、年末年始は皆様どのようにお過ごしになられたことでしょうか。新年を迎えますと「あけましておめでとうございます」という挨拶を至る所で耳にいたしますし、ラジオをお聞きの皆様も同様に口にされていると思います。挨拶をしたりされたり、言葉を掛け合ったりすることは互いに気持ちを響かせ合い、互いに気持ちのよい行い、言動であると思います。
 昨年出張で東京へ行くことがありました。岡山では車の移動が中心となりますが、都内では電車での移動が中心となります。新幹線を降りてJR線や地下鉄・私鉄といった具合に乗り継いで、目的地へ向かいます。
新幹線の出発時間や、到着時間によっては、通勤通学による、混雑の時間帯に遭遇してしまう事もあります。学生さんやサラリーマン、OLのみなさんなどなど大勢の人が電車に乗り降りするわけですが、慣れない私はこの状況に戸惑う事ばかりです。
体を押しあい、窮屈な体勢で乗ることもしばしばあります。
またそのような状況でも、周りを気にせずスマートフォンをいじっている人。音楽を聴いて、外の音を遮断している人。眠い中電車に乗車する人、遅刻しそうになって焦っている人。新聞や雑誌や本を読んでいる人などを見かけます。
なんとなく私が感じるのはピリピリとした雰囲気というか、乗客のイライラしている雰囲気が、私にもヒシヒシと伝わってまいります。
電車の乗り降りする時には、やむを得ず肩がぶつかることも、多くあります。またその中には、何も言わず「ドン!」と肩がぶつかることもありましたし、「わざとなんじゃないか」と思ってしまうような、当たり方をする人もおりました。
そういう状況は私だけでなく、至る所でもあるようで、それがきっかけでトラブルに発展している様子を見たことがありました。
もしそんな時、肩が当たってしまったどちらか片方が「ごめんなさい」「すみません」という一言を伝えることが出来ていたならば、大きなトラブルにもならず、お互い気持ちよくその場をやり過ごすことが出来たのではないかと思いました。

 また逆もしかり、言葉と云うのは自分の心の中で思っていることや、自分の考えを広く相手に伝える手段としては、とても便利なものです。
いくらインターネット環境がととのい、フェイスブック・ツイッターといった人をつなぐ、ソーシャルネットワークサービスが、発達しようとも、文字だけで、自分の感情や心情を相手に、細かく正しく伝えることや、逆に相手から受け取ることは、とても難しいと思います。

すこし話が変わりますが、私は学生時代、結婚式場でアルバイトをしていたことがあります。
披露宴のにぎやかさ、新郎新婦、家族の皆さんの幸せそうな雰囲気は、見ていてとてもほほえましいものですが、そのような状況で仕事をするのは、とても重大なことだと、緊張していたのを思い出します。
そして、その中でさまざまなハプニングも見てきました。
披露宴といえば、来賓・友人によるスピーチ・余興などがあります。新郎新婦を祝福し、二人の幸せな門出を添えるものではありますが、例えば、主賓や上司による、乾杯のあいさつが本人が言いたいままに話がなされ、長引き、コップに注いだビールや、グラスに注いだシャンパンがぬるくなるまで、くどくどと話しをされたら、たとえそれが二人にとってありがたいお話しであっても、
新郎新婦を始め、席に着いて、話を聴く方は不愉快となってしまいます。
また友人のスピーチや余興などの場面で、見かけたことがあるのですが、その場の雰囲気を盛り上げようとして、気の利いたことや盛り上げようとしたちょっとした言葉が、結果的に誰かを傷つけてしまい、場の雰囲気を悪くなってしまうということもありました。
古くから「口は災いの元」という言葉がありますが、まさにそのとおりであります。
かといって、そういったことを恐れるあまり、何も口にしないというのも困ります。
無言のままでは、相手に思いを伝えることは難しいですし、お互いの心がつながらないと思います。
日頃、朝のお勤めでお読みしておりますお経。
妙法蓮華経方便品第二には「言辞柔軟悦可衆心【ごんじにゅうなん えっかしゅうしん】」「言辞柔軟にして、もろもろの心をえっかせしむ」というお言葉があります。
簡単に訳するならば「柔らかく、穏やかな言葉遣いによって、人々の心を喜ばせる」という意味でございます。
「ありがとう」だとか、「お疲れ様でした」とか、そういう言葉は、ねぎらいや感謝といった、
意味が含まれる言葉ですが、その言葉を伝える口調が荒々しく、雑な伝え方であっては、その言葉の意味が良いふうに、相手には伝わらず、受け取れません。
またスピーチであったり、人の前で話しをするとき、たとえその話す内容が素晴らしいものであったとしても、話すひとが、あせって早口になってしまっては、聞く人も聞き取りずらく、内容が正しく、伝わりません。もちろん先ほどの話にもありますように、くどくどと長く話して良いというわけでもありません。
 もし相手に何か言葉で思いを伝えたいというときには、ひと呼吸置いて、回りを見渡し、状況と場面をかんがみて、一字一句丁寧な言葉使いで伝えることが必要です。
そうすることによって、心のこもった、思いやりのある言葉となり、その言葉が相手の心をゆさぶり、互いの心がつながるのだと思います。
人に「思いやりのある、優しい言葉で伝えること」を「言辞施ごんじせ」といいます。実はこれも立派な仏道修行のひとつです。
新年を迎えたこれを機に、ご家族や友人、兄弟、同僚に対して、思いやりのある言葉、優しい言葉や言葉使いを心がけることを初めて見ませんか。
最後に今年一年がラジオをお聴きになっている皆様にとってより良い年となりますことをお祈り申し上げ、ラジオ法話を終わりとさせて頂きます。
今朝は岡山市北区清輝橋 妙福寺住職 芥田健作がお話させて頂きました。
ご清聴ありがとうございました。