成就寺 広本 栄史

 皆様おはようございます。今朝もお元気でお目覚めのことと存じます。今朝は、建部町日蓮宗成就寺住職広本栄史がお話をいたします。
 私の町、たけべは「釣りと桜と温泉の町」又「豊かな自然と文化が香る活力あふれる町建部」をめざして町づくりが行われております。特に4月6日から4月14日まで、建部の森では、1500本の桜の元で桜祭りが行われております。皆さま是非お出かけくださいませ。
 伊勢物語に「散ればこそいとど桜はめでたけれ、うき世になにか久しかるべき」、百人一首に「ひさかたの光のどけき春の日にしづ心なく花の散るらむ」とあります。このように桜は、めでたいと同時に、私たちに「毎日生きていることは常に変化し、動いているんですよ。それは生きていれば必ず年をとり、病に冒され、やがて死出の旅へと歩んでいくんですよ」と教えてくれているように思います。
 この世は浮き世といいます。有為転変がこの世の習いです。生きている限りこの世の苦しみから逃れることはできません。お釈迦様は「この世の一切は皆苦しみにある」と説かれました。これらの苦を代表するのが四苦八苦です。すなわち先ほど申しました、生活をしていく苦しみと同時に、生まれてきたことが苦しみの因(もと)である。それから老いること、年をとる苦しみ、病む、病気になる苦しみ、死にたくないのにお迎えがあればどうしても行かなくてはならない苦しみ。さらに愛するものと別れる苦しみ・・・愛別離苦。この世で怨み憎しむ者とどうしても会わなければならない苦しみ・・・怨憎会苦。欲しい物を求めても手に入れることのできない苦しみ・・・求不得苦。そして、人間の心と身体から起こる苦しみを五陰盛苦といいます。これらを合わせて四苦八苦と申します。私たちは毎日の生活の中で四苦八苦してやっとできたという言葉の語源はここから出ているのです。これらは人間が生きている限り、誰しも避けて通れない根本的な苦しみです。この世の苦しみから逃れられないとして、これを脱して楽の世界に至る道をお互いに求めているのです。
 お釈迦様は、このような苦を生ずる原因となるものは渇愛だと説かれました。渇愛とは人間の持つ根本的な欲望です。のどが渇いたときに水を飲みたくなる、いや飲まなくてはいられない激しい欲望のことです。これは、心の三つの毒、すなわち「貪欲」「瞋恚」「愚痴」といいます。
 貪欲は自分が欲しいと思うものをむさぼり求める我欲のことです。瞋恚ははらをたてることです。そこから憎しみと怒りを起こします。愚痴はとりかえしのつかないことを何回も繰り返すいうことです。これはすべて自分の我欲からくる自分中心の考え方です。ここから生ずる苦しみはなかなか逃れることはできませんが、あきらめてはいけません。仏様はこの原因となるものを取り除くならば楽になるよと申されました。
 その為に750年昔、建長5年4月28日32歳の日蓮様は、千葉清澄寺で東の空から昇る太陽に向かって初めて「南無妙法蓮華経」とお唱えになりました。本年4月28日が日蓮宗が生まれて750年という記念のおめでたい日をお迎えします。それはただ一心に南無妙法蓮華経を日本国のすべての人々に唱えさせようという願いが込められているのです。これは母親が赤ちゃんの口に乳房を含ませようという慈悲の心と同じです。それによって渇いた心に潤いを与え、あっても欲しい心に、はらをたてる心に、愚痴の心を癒すエネルギーとなるのだという強い願いが込められているのです。
 日蓮様は「苦をば苦をさとり、楽をば楽とひらき苦楽共に思い合わせて南無妙法蓮華経とうち唱え居させ給え。これあに自受法楽にあらずや、いよいよ強盛の信力を致し給え」と説かれました。毎日生きていて、どうしてこんな苦しみや悩みが多いのだろうというときは前の世からいや生まれて今日までにいろいろと心ならずとも人様に迷惑を掛けたり腹を立てさせたり悪い種をまいたかもしれない、いろいろな罪がもしあったら、この経力によってその罪をお許しください。又毎日毎日が心楽しい生活ができるのは、前の世から、生まれて今日まで、人助けをし、人様を喜ばせ、施しを積み重ねさせていただいたおかげです。ありがとうございます。と苦しみにつけ、楽しみにつけ「南無妙法蓮華経」と毎日お祈りすることにより、心が十五夜の満月を拝むがごとく晴れ晴れと心さわやかに生活ができますよと申されました。
 私は平成10年7月30日朝、本堂でのお勤めをすませ、部屋に戻り、ひげそりをしていましたところ、突然右の脳内出血を起こし、左半身不随になりました。言葉は言えず、左手足共に不自由になり、救急車で福渡病院へ入院させていただきました。その時はこのような状態を棺桶に手足を半分つっこんだんだと思いました。病院のベッドの上で悩み、苦しみました。その時、そうか。私の人生行路の中で、どうしてもこの道を歩まなくては、向こうの岸へ渡れなかったんだなあと思うようになったとき、ものすごく心が楽になりました。歌の文句ではありませんが、「この坂を越えたなら幸せが待っている」と。そうだこの病気にかかったことにより罪の消滅をさせていただけたのだ。そして楽しい向こう岸に渡れるのだと、自分の心に受け入れることができたとき、とても楽になりました。入院後10日ばかり過ぎて座れるようになりました。毎朝お寺にいるつもりでお経を一生懸命唱えました。すると隣の部屋から苦情が出ました。少し小さめな声で退院まで続けました。リハビリの先生に、田舎ですからバスも電車もありません。退院したら車で通院できるようにお願いしました。すると先生はそれはあなたの努力次第です。という返事でした。それからは一生懸命にリハビリに努めました。おかげで37日間で退院でき明くる日から車で通院いたしました。本当に有り難くうれしくてうれしくて涙が止まりませんでした。苦楽共に思い合わせて心から一生懸命にお祈りをすることにより必ずや御仏がお守りくださるものと信じております。
 日蓮宗が生まれて750年記念に成就寺では本堂の建て替えを致しました。平成5年4月から始まり平成11年5月3日に落成式をしました。当日落成式と開宗750年慶讃記念の大法要を檀信徒と共に勤めさせていただきました。
 「妙とは蘇生の儀なり」とお経文にあります。「お祈りをすれば必ずご加護をいただけ、再びよみがえらせていただけるんだという喜びと感謝の心で毎日お勤めをさせていただいております。
 千日廻峰した酒井雄哉さんが雨が降ったら雨と一緒にいると思えばよい、山に桜の花が咲けばああ春だと思う。自分を自然界の中の一つだと思えばよい。鳥の声も松の梢を走る風の音も自分の分身だと思いいたわればよい。といっています。大自然が、春夏秋冬を繰り返す中に身を置き、生老病死、愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五陰盛苦の四苦八苦を繰り返す中ですべてのことにありがとうございますと感謝の心を忘れず、一日一日を大切に生活してまいりましょう。皆さまのご多幸をお祈りしながら終わります。今朝は建部町日蓮宗成就寺住職広本栄史でした。