妙楽寺 北山 孝治

  おはようございます。今日は、岡山市平井、妙楽寺住職、北山孝治がお話し申し上げます。
 12月、師走になりました。一年が何とも早く感じられます。皆さん、同じことを言われますので、歳を経るにしたがって、時間の感覚が、だんだんと、速くなってしまうのかもしれません。
 
先日、ビデオで『ペイフォワード』というアメリカ映画を観ました。小学生の男の子が主役の映画です。とても感動的な内容でした。
 新任の社会科の先生が子供たちに宿題を出します。「君たちが、君たちのやれる範囲で、世界と関われる方法を見つけなさい」というのがその宿題の内容です。子供たちは色々な子供らしいアイデアを出します。そんな中、この主役の少年が出した答案は次のようなものでした。
 「自分が、三人の人に誠心誠意、良いことをする。そうするとその三人がまた違う人に心からの良いことをしていく。そしてまたその三人がと、その良いことの輪が途切れずに続いていけば、瞬く間に世界中に広がり、結果的には、自分自身が、間接的に世界中の人々と関わったことになる」というものでありました。先生は、内心、その答案に驚くのですけれども、毎年、子供たちに、決まったように出している問題でしたので、それほど、深い興味も示さず授業は終わってしまいました。
 ところが、少年は、先生が考えていた以上に、自らの答えに正面から取り組み、この方法を実行に移していくのです。
 彼が考えたよいことの最初の一つは、ホームレスの男性を救うことでした。このホームレスの男性は、麻薬中毒者なのですが、うちに泊め、食事をともにして、どうにかしてその男性を立ち直らせようとします。しかし、途中までうまくいくのですけれども、彼は再び麻薬に手をだし、少年は、自分の試みが失敗したと思ってしまいます。
 ふたつ目は、いじめられている、友達を救うことでした。しかし、彼にはなかなかその勇気が出ず、何度も何度も、友達がいじめられている場面に出くわして助けようとするのですが、結局は助けることができませんでした。彼のふたつ目の善行も失敗に終わります。
 三つ目は、お母さんとその社会科の先生を結婚させることでした。お母さんは、離婚していて、先生は独身です。最初反目しあっていた、お母さんと先生は、少しずつ、好意を持っていきます。彼はあらゆる方法で二人の仲を取り持つのですが、お互いに色々な問題が起こり、これもうまくいきません。
 少年は、なんとも深い挫折感を味わいます。誠心誠意人につくすことの難しさ、実際に実行することの大変さ、お互いに善意はあっても、ボタンの賭け違いで、なかなか良いことといえども成就させること難しさ、子供ながら彼の胸は張り裂けそうになります。そして、いつしか諦めてしまうのです。
 ところが実際は、彼の行為は途切れてはいなかったのです。思わぬ形で、全く違う場所で、見事に花開いていました。
 ある時、若い新聞記者が取材中に車を壊されてしまいます。それを見ていた通りすがりの男性が、彼に自分の乗っていた新車をプレゼントします。新聞記者は狐につままれたような顔をするのですが、男性は、何事もなかったように立ち去ります。新聞記者は、われに返ると、持ち前の興味と取材力で、この男性を探し出し、その無償の行為について、訳を尋ねます。そうしますと、彼は、自分の娘が、病院で見知らぬ黒人男性に助けられたことを話します。御礼の方法をその黒人男性に尋ねると、自分に直接返すのではなく、誰か、他の人にその行為を返せと言われたことを教えてくれました。その黒人自身もある人に助けられ、そのようにしろと言われたからそうしたまでだと、言ったというのです。新聞記者は俄然、この善意の繋がりに興味もちます。そして、この善行の発信者を追いかけます。何人も何人もたどっていくうち、ついに、少年の存在を発見するのです。
 少年は自分の行為は全く誰にも繋がって行かなかったと思っていたのですが、実は彼自身は失敗したと思っていた、あの麻薬中毒の男性はその後立ち直っていたのでした。そして、彼はあるとき、自殺しようとしていた女性を助けていたのです。このことが、きっかけとなり、この行為は静かに、確実に、広がっていったのです。
 少年は、学校でこの新聞記者の取材を受けます。その帰り道、また友達がいじめられている現場に出くわし、ついに、少年は勇気を振り絞り、乗っていた自転車ごと、いじめていた少年たちの輪に突っ込んで助けます。しかし、反対に、その中の、少年にナイフで刺し殺されてしまいます。
 このような説明で、映画の内容がなんとなくでもおわかりいただけましたでしょうか。この映画のラストシーンは、なんとも感動的です。どうか一度ご覧になっていただきたいと思います。
 こんなに長々とこの映画についてお話いたしましたのは、この映画は、正に仏教で言う、供養ということがテーマになっているからであります。
 善き心を持って、他の人のために、誠心誠意尽くす。そして、その見返りは求めない。もし求めるとするならば、尽くされた人が、また違う人に誠心誠意尽くして欲しい、と思うことだけなのです。この心の伝達が、お釈迦様の言われる、供養という言葉の真の意味なのです。
 「ペイフォワード」というこの映画が、私たちに伝えようとした主題は、正にこのことでした。それをとてもわかりやすく、そして、感動的に、見せてくれているのです。少年は純粋に、誠心誠意、他の人に尽くしました。その結果は、少年にとっては思いとおりではなかったのですが、しかし、その心は確実に伝わり社会を変える力となっていったのです。
 今年もまた、いいニュースが、あまりにもなかったような気がいたします。最近では、北朝鮮の拉致被害者の問題、イラクへの、核査察問題など、政治的にも、大変に深刻な事態になっています。経済は、ほとんど絶望的な状況です。倒産、リストラの話題が町中にあふれています。一体、日本はどうなってしまうのか、世界中、どこへ行こうとしているのか、誰もが、他人事ではない環境に追い込まれようとしています。
 社会環境が、そうなればなるほど、私たちの心は、自己中心さが増していきます。その心の環境が、さらに悪い、社会状況を作り出しているように、私には思えるのです。
 供養の心を、「ペイフオワード」の少年の心を、私自身が取り戻すこと、これが結果として社会を変える力となる、私はそう信じています。
 本日は、妙楽寺住職、北山孝治がお話申し上げました。ご聴聞ありがとうございます。