RSKラジオをお聴きのみなさん、おはようございます。私は、岡山市にあります、日蓮宗太然寺の住職、大野玄秀と申します。短い時間ではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。
さて、日蓮宗では、法華経を信仰する人々を守護する、さまざまな神様を祀っています。
「恐れ入谷の鬼子母神」といわれますように、東京台東区にある入谷、鬼子母神は有名ですね。鬼子母神は、鬼のような非常に恐ろしいお顔をした「鬼形鬼子母神」、幼い子を抱いて、非常に優しいお顔をした「子安鬼子母神」の二つの顔を持っています。
鬼子母神は、千人とも一万人ともいわれる鬼の子どもを、産み育てていたと言われますが、ヒトの子をさらっては食べてしまう、とんでもない邪神でした。そこで、お釈迦様は、懲らしめるために彼女の末っ子を隠してしまいます。鬼子母神は、最愛の子が、いなくなったのを知り、狂ったように探しますが、どうしても見つかりません。そこで、お釈迦様のもとへ助けを求めてやってきます。
お釈迦様は、「おまえは、たくさんの子どものうち、たった一人、失って嘆き悲しんでおる。数人しかいない大切な子を奪われた親の気持ちはどんなにつらいか」といわれました。そして鬼子母神は、自らの過ちに気づき、その罪を償うために、永遠に子供を護る、安産・子育ての守護神となられたのです。これが、優しいお顔をした子安鬼子母神です。
また、法華経陀羅尼品の中で、鬼子母神が「法華経の行者を守護する」と説かれていることから、日蓮宗では鬼の形相をした鬼子母神をお祀りし、当病平癒・所願成就のご祈祷ご本尊として、広く信仰されています。これが鬼形鬼子母神です。
次に寅さんで有名な柴又の帝釈天についてお話しします。
帝釈天は、宇宙の中心とされる須弥山の頂上にすみ、天上界の総帥として、四天王以下、三十三将を従え、天軍を指揮して、諸天の平和を維持しているといわれています。また、帝釈天は「お猿さん」とのつながりが深いようです。当山でも帝釈天を祀っていますが、そのお堂の前には二匹の石のお猿さんが祀られています。その由来ですが、どうやら、庚申信仰からきているようです。この信仰は、もともとは中国の道教に由来するようです。
昔から人間の体内には三尸(さんし)という3匹の虫が住んでいて、庚申の日の夜、人が寝静まってから天に上って、天帝にその人の行いを報告するそうです。そして天帝は、悪い報告があると、その人の寿命を短くするというのです。従って、庚申の日の夜に眠らずにおれば、三尸の虫が体外に出て、天帝に罪を知らせることができませんから、長生きができるというのが、庚申信仰です。
そして仏教では、この庚申信仰の三尸の虫が帝釈天のもとへ向かうとされ、帝釈天信仰と結びついたようです。それにより、帝釈天の縁日は「庚申の日」とされ、庚申は「かのえさる」と読みますから「お猿さん」が帝釈天の使いとなったようです。帝釈天のことを庚申様と呼ぶお年寄りの方もおられるようですね。
ここで、せっかくですから、「庚申の日」の説明をしたいと思います。
みなさん、自分の干支を知っていますか?「ね」「うし」「とら」とかのことですね。実はそれは省略されたもので、正式には十干十二支といって、「かのえさる」、「みずのとひつじ」とかのようにいいます。
年輩の方はご存じでしょうが、十干とは「甲・乙・丙・丁・戊・己・庚・辛・壬・癸」からなります。そして十二支というのは、これはもうみなさんご存じのように「子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥」からなります。この十干と十二支を組み合わせます。たとえば、甲乙丙の「こう」と子丑寅の「ね」を組み合わせて甲子園の甲子と書いて「きのえね」と呼びます。そして「きのえね」の次は甲乙の「おつ」と子丑寅の「丑」を組み合わせて「きのとうし」といいます。
甲という字を「きのえ」、乙という字を「きのと」と読みますが、これは、陰陽道の五行からきています。陰陽道の五行とは、有形無形にかかわらず、すべての物事を、「木」と「火」と「土」と「金」と「水」の五つに分類し、この五つの要素の盛衰を以て、すべての事の相性や成り立ちを考える方法です。
五行はよく「もっかどこんすい」といわれますが、この「もっかどこんすい」の五行に「こう・おつ・へい・てい」の十干を二つずつ当てはめます。すると、木には甲と乙がはまります。そしてそれを木ですから「きのえ」「きのと」というように「え」と「と」をつけて読むわけです。「えと」というのはここからきているようですね。同じように「もっかどこんすい」の2番目の火には丙丁がはまります。これを「ひのえ」「ひのと」と読むわけです。あとも同じように土には戊と己がはまりますから、「つちのと」「つちのえ」と読み、金には庚と辛がはまりますから、「かのえ」「かのと」と読み、水には壬癸がはまりますから、「みずのえ」「みずのと」と読むことになります。
このように、十干と十二支を、順に組み合わせていきますと、61組目の組み合わせが「きのえね」となり元に戻ってしまいます。すなわちこれが暦が還ると書いて「還暦」ということになります。今年は「みずのえうま」という年ですから、今年が還暦の方は60年前の「みずのえうま」の年に生まれたということになります。先ほどいいました「甲子園」は「きのえね」すなわち、「甲子」の年にできたから、甲子園と名付けられたそうです。
話がそれますが、「ひのえうま」の迷信を知っている人も多いでしょう。ある気性の荒い女性が、たまたま「ひのえうま生まれ」だったことから、全部の「ひのえうま生まれ」の女性が気性が荒く、結婚すると男を食い殺すとなったようです。このような迷信が広まると、「ひのえうま生まれ」の女性は、たまったもんではありませんね。以後、「ひのえうま」の年には「子ども、とくに女の子は生みたくない」ということになったようです。実際、昭和41年の「ひのえうま」の年には出生数が、大きく減少したようですから、迷信とはいってもそれを信じた人は多かったようです。では、今35・6才の「ひのえうま生まれ」の女性が気性が荒く、結婚できず、不幸かと言ったら、そんなことはありませんね。かえって、受験とか就職において競争率が低くなり、いい人生を送っているかもしれません。
さて、話を「庚申の日」に戻しましょう。
実はこの「庚申の日」という表現は、十干十二支を、年ではなくて「日にち」にあてはめたものです。毎日の、十干十二支が出ている、カレンダーや、暦を、みられたことがあるでしょう。最近では、6月21日、次回は8月の20日が庚申の日に当たります。このように還暦と同じように60日ごとに来るわけです。これで、「庚申の日」というのが、おわかりになられたでしょうか。
帝釈天の話から、「庚申の日」の説明が長くなりましたが、次に、四天王のお話をしましょう。帝釈天の時に出てきましたが、須弥山の中腹に住み、帝釈天に仕え、須弥山の四方を守る役目を負っているのが四天王です。日蓮聖人の表した大曼荼羅では、四スミに位置し、北方を守る多聞天、東方を守る持国天、西方を守る広目天、南方を守る増長天からなります。
四天王の中でも、一番広く信仰されているのが北方を守る多聞天です。単独の神としても信仰され、その時は、「毘沙門天」と呼ばれます。京都の真北に位置する鞍馬寺の毘沙門さまは、御所の守護神で、北方から御所を守護しています。上杉謙信や楠正成が深く信仰したこともよく知られています。七福神の一人としても有名ですね。
さて、本日は法華経行者の諸天善神として、鬼子母神、帝釈天、四天王のお話をしました。とりとめのないお話に最後まで付き合っていただきまして、ありがとうございました。またの機会がありましたらよろしくお願いします。
日蓮宗 太然寺住職 大野玄秀 合掌